
神戸港のポートタワー近くに、あまり知られていない小さな「戦没した船と海員の資料館」がある。「8月だから」と呼びかけると20人ほどに。半数が女性、大学生も1人参加した(8月25日)。
沈められた船の写真や資料を、戦没船を記録する会と全日本海員組合が収集し2000年に設立された。1990年代後半、周辺事態法など日米安保の強化が始まったこともきっかけになった。
7200隻以上が撃沈
中国、アジアを侵略し、日米開戦に突き進んだ日本。広大な海域が戦場となり、欧州やハワイ航路に就航していた優美な客船、貿易を担った貨物船から小型船、はては木造機帆船、漁船まで1万数千隻が徴用された。
7200隻以上が撃沈され、船と船員たちは南太平洋、インド洋から北はアリューシャンの海に今も遺骨とともに沈んでいる。戦没した船員は6万600人余、あの無謀な日本軍の作戦でも陸海軍の兵士の戦死は約20%、海員は少年甲板員から60代の船長まで43%に及んだ。収集され展示される戦没船の写真は、約1300隻。犠牲になった船員は、出身の47都道府県、朝鮮、台湾、本籍地不明 … と記されている。
日米開戦から戦没船の数は急増する。その数を見ると、そのまま日本の「侵略と戦争への道」がわかる。さらに「戦後」も、船員は朝鮮戦争やベトナム戦争などに従事させられた。小さな資料館に掲げられた「海員不戦の誓い」の言葉は、「戦争に、絶対に反対する」という強い思いを訴えている。「沈んだのは戦艦や空母だけではなかった」「海に墓標を」の所以である。
近くに「非核神戸方式」の碑がある。戦前、神戸港が軍事使用され、戦後も米軍の専用埠頭が置かれ朝鮮戦争やベトナム戦争での船舶修理や輸送拠点になった。1975年に市議会が「神戸港に入港する船、軍艦に、核を積んでいない証明書を求める」と全会一致で決議した。単に記念碑ではない。以来、米軍艦船は神戸港に1度も入港できていない。(竹田)
軍備拡大に頼る非現実
参加者からは、次のような感想が寄せられた。 「小中学生や若い人たちに見てもらいたい。軍事費倍増、ミサイル配備、『攻められたらどうする』と煽られる今こそ、あの戦争は何だったのか考えたい」「近くにある非核神戸方式の碑も初めて見た」「住民を巻き込む地上戦のことは、沖縄で何度も聞いたが、初めて訪れた戦没船資料館で海の戦争の実相を知った。おびただしい数の船が沈没した事実を、写真や展示で実感させられた」
「日本は資源のない国、輸出入のほとんどを船に依る。外国との良好な関係抜きに生産も生活も成り立たない。軍備、軍拡を叫ぶ非現実性を知る機会になった。平和や安全保障とは何かを広く議論するきっかけにもなる」
「戦争のたびに軍は兵隊や武器、弾薬、物資の輸送に多くの民間商船を徴用した。船も船員も次々に戦地へ送られた。戦争のむごさを感じる時間でした。日本は食糧自給率が30%余り。平和なくして成り立たない国だということを、元船員の方のお話を聞き本当に納得できた」
