金融政策の前提を天動説から地動説へ転換

かつて安倍元首相は、財政赤字を拡大しても「日本銀行に無制限にお札を印刷してもらう」ので心配ないと言って赤字国債を無際限に増やしていった。安倍氏が依拠した通貨論を「通貨外生説」という。通貨は経済活動の外部で作られるため、ある程度自由に経済へ投入したり経済から引き揚げたりできるという考え方だ。アダム・スミス以来、近代経済学の主流はこの通貨外生説に立っている。
しかし著者によれば「貨幣は印刷機で造れない」、その根拠となる立場が「通貨内生説」だ。信用取引にもとづく振替決済システムがまず先行して存在し、通貨(銀行預金と銀行券)はこの決済システムを円滑に運用する必要に応じて後から生じたものなので、通貨の流通を経済活動の外部からコントロールすることはできないとする。
「外生説」の前提となるのが近代経済学の「物々交換神話」。昔々、人びとは物々交換で暮らしており、交換を容易にするために通貨が発明され、その後でより高度な信用システムが発展したという物語だ。しかしあらゆる民族誌は、物々交換経済が実在せず、信用システムが通貨よりも先行したことを示す。古代メソポタミアでは債権債務関係をすべて銀で換算して記録と取引を行ったが、銀貨は存在せず、流通もしていなかった。20世紀初頭のミクロネシア・ヤップ島でも、「魚、ヤシの実、なまこなどが取引されていたが、それは…信用によってであった。…取引から生じる債権と債務が記録され、債権と債権、債務と債務が相殺され、相殺後に残る差額は繰り越されて次の取引に使用された」。

通貨は銀行の債務証書

イギリス金融史に通暁する著者は、資本主義下の金融システムも同様であることを示す。銀行に開設した顧客の勘定を通じて信用決済がまず発展し、これを円滑に行うべくイングランド銀行がランニングキャッシュ手形を発行した。イングランド銀行と顧客の間の債権債務関係をもとに発行される手形には、「私は○○ポンドの金額を持参人に要求あり次第支払うことを約束します」と印刷されていたが、日付や名義、金額を記入する書式が後に簡略化され、今日の銀行券になった。ちなみにこの文言は現在のイギリス紙幣にもそのまま印刷されている。通貨の本質は物々交換を容易にする金属貨幣の代替物ではなく、信用決済システムを担う銀行の債務証書なのである。
ところで、金本位制が廃止された現在、銀行券の持参人に金貨を支払うのでなければ銀行は一体何を「支払う」のだろうか? 銀行券を銀行に持ち込めば顧客の口座勘定が増加する。これが「支払い」である。通貨の役割は銀行との債権債務関係を決済することなので、通貨システムが金本位制である必要はそもそもなかったのである。
流行のMMT理論にも著者は疑問を呈する。何の債務も意味しない軍票と違って、銀行券は銀行の債務を意味する以上、無限に発行することはできない。「20円で1万円札ができる」という理解は、1万円札を発行すれば1万円の債務を日銀が背負う現実を無視している。その先には日銀の債務超過(=円の紙くず化)という恐るべき現実が待っている。
「金融政策の前提を天動説から地動説へ転換」する渾身の一冊。おすすめだ。(掛川徹)