
「汚染水海洋投棄―六ケ所村再処理工場―日本の核政策」について、小出裕章さんが話した。次にその要旨をまとめた。(3月16日、兵庫県保険医協会による市民学習会)〔竹田雅博〕
――原発は膨大な放射能を生み、それを抱えながら運転するという機械。広島原爆で「燃えた」ウランは800グラム、100万キロワット原発1基が1年運転すれば、燃やすウランの量は1トンにもなる。さらに、機械は必ず故障し、人間はミスを犯す。原発を推進してきた国と電力会社は「絶対に安全」とウソをつき、一方で、万一の事故を恐れ、都会には造らず過疎地に押し付けてきた。その結果、東電福島第一原発の破局的事故に突入した。
危険に決まっている
以来、その「原子力非常事態宣言」は、いまだ解除されていない。「安全かどうか」の議論であってはならない。危険に決まっている。原発はもともと膨大な危険を抱えている。推進する側は「多重の安全装置を付けているから絶対に大事故は起こらない」と言い、事故が起きれば政治も東電という企業も「想定外だった」と逃げる。国は常にウソをつく。能登大地震で志賀、柏崎刈羽原発が激震に襲われた。多くのトラブルが報告されている。志賀も柏崎も10年以上止まっており、発熱は1000分の1に減っていた。今回の教訓は「止まっていた」ということ。
私が研究のため働いていた原子炉実験所は、法律により「決められた人しか入ってはいけない」という「管理区域」だった。福島事故では、それが広大な地域に広がり、「住んでいい」とされてしまった。強制避難させられた人たち、逃げられない人たちという分断も、もたらされた。
そもそも地震大国の日本に原発など造ってはいけなかった。起こってしまった以上、原発も建屋も外界と遮断しなければいけない。地下水がデブリに触れるなどあってはならない。
「処理水」は論外
もし汚染水が水処理技術により、「環境への排出基準をクリアできる」ようになれば、「処理水」ということになるだろう。しかし、トリチウムは水素の同位体であり化学挙動は普通の水とまったく同じ。水そのものであり、除去できない。ALPS「処理水」は、処理水ではなく「放射能汚染水」である。「処理水」と呼ぶのは論外。ところがマスコミも率先して「処理水」と言い、「汚染水」と呼ぶと叩かれる。
79年前、数十万人が暮らす街に、米国は原爆を投下した。オバマ大統領が広島に来たとき「死が空から落ちてきた」「世界が変わった」とスピーチした。
原爆を造るには、ばく大なエネルギーを要してウランを濃縮するか、または原子炉を動かして使用済み燃料を再処理しプルトニウムを抽出する。その過程でトリチウムは全量が水に移る。六ケ所村に計画されている再処理工場が運転を始めれば、国はトリチウムを環境に捨てる計画であり、それを「安全だ」と認可した。福島のトリチウムを流してはいけないということになれば、日本の核・原子力政策は根本で崩壊する。だから、この国は汚染水を海に流す以外の方策をとらない。
「安全保障」のための核
原発は(核に関与し続けるという)日本の核政策、原子力ムラ、原子力マフィアに密接につながってきた。日本の57基の原発は、すべて自民党政権が推進してきた。2012年の原子力基本法改定では、「原子力利用は平和目的に限り…、我が国の安全保障に資する…」とされた。
