大阪精神医療人権センターの相原啓介さん(弁護士)の講演の後半。なぜこのような精神病院内での虐待がまかり通っているのか、と誰でも思うところだ。講師は病院の閉鎖性が原因の一つと説明。法的には病院は「医学的理由での面会制限」はできるが、それ以外での面会拒否はできないとなっている。しかし面会拒否が日常的に行われている。弁護士にたいしては「医学的理由による面会制限」さえしてはならないとなっているが、それでも実際には拒否されることがある。その場合、弁護士は「面会妨害差止」を地裁に申し立てて対処せざるを得ず、しかもそれは入院患者からSOSが出た場合に限られる。精神病院の閉鎖性は刑務所より酷いのか!
その上、行政が患者の立場に立つことはほぼない。その監督機能はぜい弱というよりも病院を敵には絶対に回さない。神出(かんで)病院においても、およそ人間にすることではない、口にするのもおぞましい病院ぐるみの虐待が何年も続いても、加害者の看護師の逮捕はあっても、理事長や院長はおとがめなしである。藪本理事長は別件の日本大学の巨額金銭疑惑で逮捕されて理事長を辞任したが、あくまで「別件」が理由であり「虐待」が問題になったわけではない。

死亡したときが退院

講師は虐待が事実上許されている原因のもう一つとして、退院支援の仕組みがないことをあげた。
普通の一般病院ではPSW(精神保健福祉士)や地域連携室が設置され、地域のクリニックと病院、大病院と地域病院、訪問看護ステーションなどとの連携の中で医療が行われている。
しかし滝山病院を例にとると、そもそもPSWや地域連携室などなく、入院したら7~8割の患者が死亡した時が退院である。「適切な治療で病状も安定して退院」という一般病院では普通のことが多くの精神病院では全くなく、隔離収容の場と化しているのが実態だ。神出病院でも同じ。入院でありながら回診など全くなし、そこは病気の治療の場ではないどころか、患者にとって「自分の身を守るのがやっと」という修羅場だった。

「処遇困難」の意味

虐待の一つとして処遇困難者にたいする拘束が問題にされることがある。しかし「処遇の困難さ」は、もちろん患者の病気の重さにも起因するが、対応する職員側の能力と姿勢にも大きく関係する。ベテランで能力の高い医師や看護師は、できるだけ拘束しないでよい方法を持っていたり、編み出したりすることができる。「処遇の困難さ」は患者の病態と医療職の能力との相関関係で決まるというわけである。
つまり滝山病院や神出病院での「処遇が困難だから拘束」ということと、拘束をなくそうと努力している病院の「処遇困難」とは次元が違う。前者はあくまで虐待でしかない。
講師は最後に「行政や病院の責任を問うだけではいけない。目の前にいる被害者を実際に救出することが必要だ。滝山病院については東京都を説得し、精神保健福祉協議会も説得し、やっと調査に入ってもらうことができた。なおかつ2023年8月時点で、希望しても退院できた人はゼロで、多くの方が亡くなるという大変な状況が続いている」と被害者救済の困難さを語って講演を締めくくった。
次回は拘束について述べたい。精神科における身体拘束は普通の人の想像を絶するものだ。全く身動きの取れない拘束による死亡事故は稀なことではない。日本では拘束が増加の一途をたどっており、一日一万件以上も行われているのである。