
「食料安全保障」が叫ばれる昨今、日本の食料と農業・農民の現状はどうなっているのか? という問題意識で企画した「新自由主義と農業ビッグバン」(本紙第381~384号で掲載)。農協職員で30年以上農政の第一線に立ってきた中村武彦氏のインタビューは、既存の議論をことごとくひっくり返し、課題の出発点を提示している。彼の話を通じて私が考えたことを述べてみたい。
「自給率を上げろ」?
「自給率」と一口に言っても、例えば家畜飼料の大半は輸入品。「米国の飼料用とうもろこしが途絶したら日本の酪農、畜産は壊滅するんですよ、壊滅」(中村氏)。国産の肉や牛乳をいくら消費してもカロリーベースの自給率は上がらない。
そもそもわれわれは小麦や大豆、菜種、とうもろこしなどの主要食料を米国に全面的に依存している。パンやウドンにとどまらず、豆腐、納豆、みそ・醤油も原料は米国産。肥料にしても窒素、リン酸、カリの3大要素をほぼすべて輸入に依存し、その最大の供給源は中国だ。実際に有事が起きて交易が途絶すれば「国産」食料の生産など不可能だが、そこまで考え抜いた「食料自給」論は皆無に近い。
本気で地産地消、「自給」を考えるなら、平均的なコメ農家が赤字という現実をどうするのか。肥料を確保するための技術開発に多額の予算が必要ではないのか。家畜飼料はどうするのか。広大な牧草地がない日本での食肉生産が適切なのか。
「食料安保」をめぐる議論の大半は農水省予算に群がる既得権益層が「やってる感」を出すための議論でしかない。
耕作地を増やす?
他方、農協や農水省の「食料安保」論を批判する新自由主義グループもある。キャノン・グローバル戦略研究所の山下一仁氏が筆頭だが、彼らの意見によれば、有事の食料供給でもっとも大切なのは耕作地面積を維持・確保することで、一定規模以上のコメ農家に直接所得補償して規模拡大と効率化を実現し、減反などの生産調整はやめる。つくりたいだけコメをつくれば米価も下がるが、安価な余剰米は輸出に回す。こうして一定面積の耕作地を常に確保し、有事には輸出用のコメを国内消費に回して緊急時をしのぐ。これが真の「食料安保」政策だという。
一見すると説得力がありそうだが、機械化が進んでいるコメ生産は石油をもっとも必要とする品目でもある。肥料もすべて輸入品なので、耕地だけを確保しても有事にコメが生産できるわけではない。山下氏の意見も所詮、農協攻撃のための「机上の空論」でしかない。
先進国のダンピング
いずれの論者も、農家に何らかの所得保障が必要だという点は一致する。欧米の農業保護政策を、賞賛するわけだが、ここが複雑で、実は「先進国」の農業保護政策も単純に肯定できないのだ。
米国は小麦や大豆などの市場価格が生産価格を下回れば、農家に生産価格分を補填している。EUでは農民に国境警備隊のような位置づけを与えて農家の所得保障をしており、事実上農民は準公務員のように扱われている。国内消費を上回る余剰分は保管や処分には費用がかかりすぎるため、米国もEUもだぶついた農産物を輸出に回すしかない。「自由貿易」は建前にすぎず、値崩れした農産物の大量輸出、農産物のダンピングが「先進国」農業政策の根幹に座っているのだ。
しかし「先進国」の食料自給確保の影では、格安小麦が国際市場に出回り、中南米やアフリカの多くの農民が破産してきた。バナナやココアなどの換金作物だけをつくる「途上国」の農家が米国やEUから輸入した小麦粉でパンを焼くといういびつな農業構造は、「先進国」の食料安保政策が原因である。仮に日本が同じような直接所得補償政策をとれば、国内で余ったコメを格安でアジア諸国に輸出する以外なく、タイ、ベトナム、フィリピンなど主要なコメ生産国の農業体系に壊滅的な打撃を与えかねない。「コメ農家に直接所得補償せよ」という立場は一見もっともだが、余ったコメをダンピングして矛盾を国外に転化することでしか成り立たない。
戦争のための危機アジり
結論的に、「食料安保」と聞いたらまずその裏の動機を疑うべきだ。米国に食料供給を全面的に依存している現実を押し隠し、日米のさらなる軍事的一体化を進めるネタとして「食料安保」というテーマが利用されているように思えるのだ。
食料自給や地産地消をまじめに考えたら、米国の食料戦略が戦後80年かけてわれわれの食生活をまるごと「対米依存」させている現実、食料の由来から言えばわれわれはすでに半分「米国人」になっている現実を対象化し、理想的な地産地消生活と現状の愕然とするほどのギャップを考え直すことから始めるしかない。「米国を怒らせたら大変なことになる」という日本人の意識の背後には、米国に胃袋を押さえられている厳しい現実が存在するのだ。(掛川徹)
