
2016年7月26日深夜、神奈川県相模原市にある障がい者施設「津久井やまゆり園」に、元職員の植松聖(死刑が確定)が押し入り、入所者19人を殺害、26人(内3人は職員)に重軽傷を負わせました。植松は障がい者を「心失者」(意志を持たない存在)と呼び、「国益を損じ、不幸を作るだけの、社会にあってはならない存在」と決めつけて凶行に及びました。
後日、拘置所で面会したジャーナリストが植松の発言を紹介しています。「私はユダヤ人や黒人を見下し差別することはございません。ヒトラーと自分の考えは違います。ユダヤ人虐殺は間違っています。でも障がい者を殺したことは良いと思います。心の無い者(心失者)は即、死刑にすべきと思います。日本では弱者は守られるべきだという人間がいますが、たかり屋のような偽善者と詐欺師ばかりです」
植松はやまゆり園で働いていた3年間のなかで、このような考えを抱くようになったと言われています。しかし、命の価値に優劣をつけて、「劣る命」を淘汰(とうた)すべきとする思想は、国が進めてきた「優生政策」と無縁ではありません。
被害者を匿名にする
やまゆり園で犠牲となった障がい者たちは、社会から「隠されるべき存在、恥ずべき存在」として扱われ、時には家族からも疎んじられて、人里離れた施設で暮らしていました。それは、事件後の報道で、被害者やその遺族の全員が、「プライバシーの保護」という名目で匿名報道で処遇されたことにはっきりと現れています。
事件直後に「緊急避難」の意味で被害者を匿名とすることは理解できますが、それが検察調べや裁判や、その報道まで引き継がれたことは特殊な事態と言わざるを得ません。日本の報道機関における実名報道原則からも逸脱しています。
裁判のなかでも、殺害された入所者は甲A、甲B、… と呼ばれ、傷害にあった入所者も乙A、乙B、… と呼ばれました。遺族のなかには、「自分の娘が記号で呼ばれるのは耐えられない」とその実名と写真を公表した方もいました。
障がい者の無念
警察は「遺族から匿名の希望があった」と説明していました。確かに、追悼集会では遺族代表が「この国には優生思想的な風潮が根強くあり、すべての命は存在するだけで価値があるということが当たり前でなく、名前を公表することはできません」というメッセージを送っていたことからも、「匿名」が大多数の遺族の希望であったことは事実だと思います。しかし、「実名とするか、匿名とするか」によって「事件の重み」に大きな差が生まれます。殺された障がい者たちが、匿名で一括(くく)りにされて葬り去られるのは「死後も続く差別ではないか」と、多くの障がい者団体から批判の声が上がりました。
障がいの当事者と家族は決して同一の主体ではありません。意見も利害も立場も違います。「(障がい児の存在を)隠していたのに、親戚や近所にばれてしまった」と怒る遺族もいました。「家の恥、きょうだいの結婚に差し支える」と葬儀は偽名で執り行い、遺影も作らずに、犠牲者の死を悲しむ「余地」すらない遺族もいました。家族の墓に入れてもらえなかった犠牲者もいました。家族にここまで疎まれ、隠されなければならない差別のなかを障がい者たちは生きてきたのです。
名前刻んだ慰霊碑
今後のやまゆり園の再建について、家族会の提案は「今の場所に建て替える」でした。つまり、従来どおり「人里離れた大規模施設」に障がい者を隔離することを希望したのです。これに対して障がい者団体は「それは歴史に逆行するものだ。地域分散型のグループホームなど小規模なものに」と主張し、真っ向から意見が対立しました。
「青い芝の会」
1970年代、障がい者運動の大きな転機となったのは、脳性まひ者の当事者団体「青い芝の会」が「母よ殺すな」をスローガンに立ち上がったことでした。介護の大変さと将来を悲観して障がい児を殺してしまった母親への助命嘆願運動にたいして、「私たちは殺されてもいい命なのか」と立ち上がったのです。国の福祉の貧困と優生思想は、このように家族と障がい者を分断し、引き裂いてきたのです。愛する家族をも糾弾の対象としなければならない障がい者たちの無念はいかほどかと思わずにはいられません。
2021年、やまゆり園の敷地内に事件で亡くなった19人のうちの7人の方々の名前が刻まれた慰霊碑(写真上)が建立されました。犠牲者の名前のない事件や裁判はすぐに風化してしまいます。匿名化によって優生思想の是非を社会に問う機会が奪われた気がしてなりません。
「命の重み」の差
2019年に発生した京都アニメーション放火殺人事件では、犠牲者36人全員が実名で報道され、多くの人びとがその死を悼み、その才能や技術を惜しみました。遺族に対する支援の輪も広がり、新作アニメの上映では映画館は満杯となり、エンドクレジットで死傷者全員の名前と共に追悼の意が表されました。国内外からの弔慰金が33億円も寄せられ、追悼式には1万人が参列しました。やまゆり園事件と比べて、この「命の重み」の差は何なのでしょうか。(想田ひろこ)
【参考文献】
月刊『創』編集部編『開けられたパンドラの箱』(創出版)、同『パンドラの箱は閉じられたのか』(創出版)
