
フランスで女性の参政権が認められたのは1945年らしい。
「自由・平等・人権」を掲げたフランス革命の時でも女性の人権はほとんど省みられることはなかった。しかし、「物語 フランス革命」を読んで、あの動乱の時代に何人かの女性の活躍があったのがわかった。箇条書きで紹介したい。
テロワーニュ・ド・メリクーリ
ベルギーの農家生まれ。カンピナド伯爵夫人という名前でパリやロンドン上流社交界に出入りする高級娼婦だった。当時彼女はイタリアにいたが、革命的情勢に引かれてパリに来た。バスチーユ陥落の知らせを聞いて、「これまでの境遇から解放された。女の自分にも何かができる」と感じたテロワーニュは、ヴェルサイユの国会に毎日通う。
早朝から議場に現れ、終日議員の演説に聞き入ったという。8月26日に採択された「人権宣言」1条の「人間は自由なものとして生まれ、権利において平等である」という言葉はテロワーニュの心にしみ込んだだろう。革命家たちを金銭的にも援助し、演説もうまかったので、革命家たちの間で物凄く人気があった。
ベルギーに帰った時、オーストリア政府に誘拐され9か月間拘束された。釈放されてパリに戻った彼女は、ジャコバンクラブで大歓迎を受け「自由の女性戦士」と褒めたたえられたそうだ。
ロラン夫人
革命運動の方針をめぐってジャコバン派と対立したのがジロンド派。後に「ジロンド派の女王」と言われたのが、ロラン夫人だ。彼女はパリの中心、シテ島に生まれた。マリーアントワネットより一つ年上である。親は彫金師。1792年3月に内務大臣になったジロンド派のジャン・マリ・ロランの夫人。夫のロランの内務大臣室に
机を持ち込み、内務大臣名で出される文章をほとんど書き上げたという。
内務大臣用の機密費を使ってマスコミを取り込み、ジロンド派の革命家を手なずけた。実質的にジロンド派のリーダーだった。しかし、王制が倒れジャコバン派が権力を握ると、ロラン夫人は1793年6月逮捕された。そして11月8日、革命裁判所はロラン夫人に死刑判決を下した。
処刑台の上でロラン夫人は、「自由よ。汝の名において、なんと多くの罪が犯されたことか!」と叫んだそうだ。
シャルロット・コルデ
ノルマンディー地方のサン・サチュルナン・デ・リニュリの生まれ。母親が亡くなった13歳の時に、フランス北部のカーンという町の修道院に入れられた。革命が勃発して修道院が閉鎖されたのが、シャルロット22歳の時であった。世間に放り出されたシャルロットは、革命というものを理解するために、新聞やパンフレットを読みあさった。そして、25歳の時(1793年7月7日)に、ジャコバン派の迫害を逃れたジロンド派の議員15人ほどが、カーンの街にやって来た。
ジロンド派の議員たちの話を聞いてジャコバン派に憤りを感じたシャルロットは、ジャコバン派に仕返しを決意する。7月9日ジャコバン派の三巨頭(ロベスピエール、ダントン、マラー)のうち、マラーに天誅を加えるべくパリへ向かった。パリに来てからの3日目の7月13日、シャルロットはマラーの自宅に赴き、皮膚病治療のために入浴中のマラーの胸にナイフを突き刺し殺害した。
シャルロットの裁判は、7月17日に行われたのだが、裁判所に現れたシャルロットを見て、しとやかで無垢な様子に人々から驚きの声が上がったという。シャルロットは死刑判決を受け、その日の夕方に革命広場で処刑された。
オランプ・ド・グージュ
考え方は王党派に近かったようだ。しかし、1791年9月に「女性の権利宣言」を発表した。「女性の権利宣言」第1条は、「女性は自由なものとして生まれ、権利において男性と平等である」と謳っている。オランプ・ド・グージュも断頭台にのぼった。
デュ・バリー夫人
ルイ15世の公式寵姫。イギリスに亡命中の王党派と連絡を取り合っていると嫌疑をかけられて死刑…。
王妹エリザベト
ルイ16世の妹。マリーアントワネットより9歳年下。革命勃発時25歳。1792年8月10日の王制崩壊後、国王一家と共にタンブル塔に幽閉された。お兄さんたち2人(後にルイ18世になるプロヴァンス伯爵とアルトワ伯爵)は、国外逃亡したが、ルイ16世一家を見捨てて逃げることはできなかった。
16世一家の生活の面倒をよくみたそうだ。1794年5月9日、革命裁判所に呼び出され、反革命陰謀に加担したなどとされ、7月10日、死刑判決を受け、即日処刑された。
タリアン夫人
タリアン夫人ことテレジア・カバリュスは、スペインの銀行家の娘。14歳の時にパリでフォントネ侯爵と結婚。革命勃発後の1793年春、パリから脱出してボルドーの親戚の家に逃げ込んだ。フォントネ侯爵とは離婚した。
ボルドーは反革命運動が盛んだったので、反革命派弾圧のために乗り込んできたのが、ジャコバン派のタリアンだった。そのタリアン、テレジアに魅了され愛人にしてしまう。
ボルドーの革命家を堕落させた女としてロベスピエールに睨まれ、逮捕された。いつギロチン送りになってもおかしくないなか、タリアンは恋人を助けたい一心で、国会で短刀を振り回してロベスピエール弾劾の演説をした。獄中から解放されたテレジアはタリアンと結婚し、彼女は「テルミドールの聖母」と呼ばれるようになった。(こじま・みちお/おわり)*写真/パリ、カルゼール広場
