
「コメがない」「コメが高額で買えない」が、庶民の声である。それにたいして政府の答弁(弁解)は流通原因に絞られており、全く納得がいかない。江藤農水相がテレビで声をひそめて「誰かが買い占めている」と語るも、ウソとゴマカシ、責任逃れそのものである。備蓄米放出では全く解決しない。流通問題が本質ではなく、「コメが絶対的に不足」という国の農政の破綻が真相である。
数字で見ていこう
昨年6月末まで1年間のコメの需要量は705万トン。それに対し前年(23年産)の収穫量は661万トンで44万トンも不足。需要に供給が追いつかず、この時点で備蓄米の放出が検討されてもおかしくない異常事態だった。この10年間の推移を見れば、2013年では、需要量が781万トン、生産量は821万トンと生産量が多くなっているが、自民党の一貫した農業政策(減反)が続けば、数年後の異常事態は十分に予測できたわけであり、抜本的な農政の転換が求められていたのである。
「異常気象続きで生育がうまくいかない」「円安で輸入肥料が高騰」「農家の離農が増えて耕作放棄地拡大」「コメ農家がどれだけ困っているか。年間所得1万円、時給10円で誰が稲作農業を続けられるか」「未来が見えない。断絶しかない」と農家の人たちは訴えている。
実際、2000年に174万戸あった稲作農家は2020年には69万戸と105万戸減少している。これはこの20年で4割以下になったということである。政府の減反政策と低米価強要(生産コストが上がっても価格に反映されない)という、失政ならぬ悪政そのものの結果である。
流通を見てみよう
それでは政府が言い逃れ、責任転嫁で語る「流通」を見てみよう。
前述してきた異常事態を好機とみた一部の業者が、直接に農家に「JAよりも高値で買い付け」といった投機的な動きは厳存している。しかしそのような動きは、現在の異常事態の結果であって、決して根本原因ではない。市場に「不足感」があるから、このような社会現象が生まれるのだ。
次に流通の危機的な現実を、数十年地域の住民のコメを供給してきた地元の米穀店の状況で見てみよう。
ある米穀店主は「昨夏は5キロ2500円で販売していたコメが、2月には4800円と約2倍で売らざるをえなかった」「流通量が減り、卸売価格(仕入れ値)が高額化し、在庫も例年の4分の1しか保管できなくなり、お得意先の契約も解除し、販売を断っている」とのことである。
また他店では、「在庫切れでは商売できない」と、やむなく高額のコメを仕入れて1年分を必死で在庫したと、苦渋の選択で綱渡りのような経営状況をなげく。流通の末端の米穀店が多少の「買占め」をしたとしても、彼らに責任はない。商売が成り立たないところに追いやられているのだ。責任は政府にこそある。
政府の悪政を追及し、根本的な改革を訴えよう!
このような稲作農業破綻をまねいた政府の悪政を簡単に見てみたい。政府は2004年にコメの流通自由化を強行し、それによって小売・流通業界が農家のコメを安く買いたたいた。「自由化」するのなら農家への赤字補償が不可欠だが、それをしないどころか、水田を畑にしたら手切れ金を渡す(畑地化促進事業、2022年)など米作を崩壊させてきた。コメの増産と農家への所得保障は早急にしなければならない。
フランスでは農業は国家の安全保障そのものと、多額の予算が農家の所得保障などに使われていると聞く。「パンをよこせ」は革命の第一のスローガンだ。
日本政府は備蓄米の放出を渋々おこなったが、この程度で解決するわけがない。政府責任をしっかりと追及し、根本的な農政改革を訴え、21世紀の「コメ騒動」にうって出よう! (当間弓子)
