社会に格差や貧困や、差別がこれほど拡大していても、「見ようとしない」「感じようとしない」暗闇のような時代…。なんだ、これは。
日本国憲法第25条第1項は、「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定めている。自殺者数や自殺率の増加は、国民の健康状態や生活の質が悪化していることを意味している。その背景には労働分野の規制緩和により非正規雇用への置換えが進められ、ワーキングプアの増大したこと。その一方、もともと脆弱であった生活保護をはじめとする社会保障制度がさらに切り縮められ、格差と貧困が拡大してきたという構造的要因がある。
その意味で多くの自殺は、自己決定権、そして生きる権利という究極の基本的人権が、社会の構造的要因によって侵害され、疎外されている強いられた死だ。

啄木が見た「閉塞する時代」
1910年の大逆事件に出会い書いた評論、『時代閉塞の現状』で石川啄木は述べている。「我々青年を囲繞(いぎょう)する空気は、今やもう少しも流動しなくなった。強権の勢力は普く(あまねく)国内に行わたり、現代社会組織はその隅々すみずみまで発達している」
今日を眺めるとき、ナショナルな国民再統合と新自由主義の専横のなか、「反戦平和」「民主主義」といった戦後的価値は自壊していき、なし崩し的な憲法改悪に行きつこうとしている。教育の反動化、格差と貧困の拡大など、まさしく閉塞感が募るなかにあって、「我々日本の青年は未だ嘗て彼の強権に対して何等の確執をも醸した事が無い」という116年前の啄木の言葉は、いっそう重い。私たちが国家を敵として認識しえず、国家の強権に対する無関心と、没交渉の態度こそが、ますます国家へと自らを服従させ、結果、強権をさらに強化させてしまうということを啄木は述べたのだと思う。
151円のパンを万引き
「コンビニで代金払わず店長に暴行、事後強盗容疑で64歳の女を逮捕」(神戸新聞2026年1月26日)。神戸市内のコンビニで代金を支払わず、商品を盗んだとして64歳の無職の女性が逮捕されている。逮捕容疑はパン1個(販売価格151円)を盗んだという。彼女は「お金に苦しい生活だった」と言っていた。2月5日、神戸駅近くのコンビニで48歳の男性が、飲むヨーグルト(販売価格172円)を盗み、同じく逮捕された。「自暴自棄になった。刑務所に入った方が楽だろうと思った」ということだ。
現実は、少々の小理屈ではすまないほどのリアルさがある。ますます隠しようもないほど追い詰められ、切羽詰まった現実がある。「生きるか死ぬか」というほど追い詰められているのか。条件が悪くとも働き続ける、「働け、働け、働け」、働くにも命がけの毎日がある。失業から貧困、そして病気、無収入である。このプロセスは、もともと頼りないセフティーネットから、軽々とこぼれ落ち、そのまま死へと直結していく。

「食べ物をください」
2020年のことだったと記憶するが、福岡でのことだ。若い女性がカッターナイフを持ち真珠販売店に入り、お金を奪おうとしたが未遂に終わる。すぐに交番に自首をした。この若い女性は、新型コロナの影響で客足が遠のいた、うどん店を解雇され生活に窮し、真珠店の前の公園で寝泊まりするようになった。彼女は「児童養護施設」で育ち、行き先が失われていた。「食べ物をください」と書いた紙を掲げ、この公園に立っていたという。
お腹を空かせた失業者が、コンビニでパンや弁当を万引きすると、少額にもかかわらず、とんでもない重大な犯罪を侵したというように言われる。これらは、すべて自己責任なのか。福祉や公共サービスを縮小し、公営企業を民営化し、規制緩和で競争をトコトン煽り、貧者や弱者の保護政策を縮小化、最小化していく「ネオリベラリズム」(新自由主義)が推進されてきた。「お金に苦しい生活だった」「食べ物をください」という女性も、増え続ける自殺者も、「自己責任」ということなのか。
「市場原理」がすべてか
1970年代から80年代にかけ、石油危機をきっかけに欧米や日本で発生した経済停滞期、スタグフレーションをきっかけに、「物価上昇を抑える」という金融経済重視の政策が世界の主流となり、サッチャーの「サッチャリズム」、レーガンの「レーガノミクス」、いわゆる「市場原理主義」への回帰、ネオリベラリズムが大手を振るっていた。とりわけアメリカでは、多くの人がスタグフレーションと失業に苦しんでいた。そこで減税を行なって家計の活性化を狙い、規制緩和によって市場経済の回復を目指した。社会保障費を縮小し、軍事支出を拡大することで経済発展を図っていった。「市場原理主義」には、貧しい人たちを保護していくなどという精神は全くない。
「世界の真ん中で輝く高市・日本」とは
高市首相は、安倍元首相の推し進めた「アベノミクス」(「日本再興戦略」)を継承するという。「アベノミクス」は、大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略…、この政策運営の柱は貧者・弱者の切り捨ての上に成り立った「富者のための政策、戦略」であった。その振り返りもないまま、継承するというのか。物価高に苦しむ私たちを、さらなる苦難へ突き落とそうとしている。
不安定な生活、生者を飼い殺しにする社会。生きるということすらが、特別な権利なのか。貧しき人々は働き続けなければならない。今日を生きるがために。生きることが報われるために。(嘉直)(つづく)
