
これまでの連載で、集団的自衛権が違法な侵略戦争の代名詞であったこと(第1回)、ウクライナ戦争が従来の安全保障政策の常識を覆してしまったこと(第2回)、それに代わる構想として「多元的安全共同体」の概念を紹介した(第3回)。今回はその具体例としてASEANを検討する。
特異な国家連合
多元的安全共同体は実際に可能なのか。こうした観点から注目を集めてきたのがASEAN(東南アジア諸国連合)である。その発足は1967年であるから、すでに半世紀以上の「長い」歴史を刻んできたことになる。
インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイの5カ国で出発したASEANは、1984年にブルネイ、1995年にベトナム、1997年にラオス、ミャンマー、1999年にカンボジアが加盟し、現在10カ国で構成される。
発足時に発表したバンコク宣言では、地域協力の目的として「地域の経済成長、社会的進歩、文化的発展の推進」と「域内の平和の安定の促進」とを明記していた。ASEANが最初の地域政策として採択したのがZOPFAN(東南アジア平和友好中立地帯構想)である。この中立化構想は参加各国の思惑の違いから調整が難航したが、最終的に①中立化構想が短期的でなく、長期的目標であること、②大国による保証を削除したこと、③域外大国の関与ではなく、干渉を否定したこと、④不可侵原則への言及、⑤非核地帯化への言及、⑥法的要素を削除し、政治宣言としたことなどでまとまった(注9)。
ZOPFANはバンドン会議(1955年)の「世界平和と協力の推進に関する宣言」を踏襲することを明らかにした。その後、ASEAN方式と呼ばれる特徴的な地域形成のあり方は、バンドン会議で打ち出された「平和十原則」にその原型を見ることができる。
ASEAN方式とは、①主権平等、②武力の不行使と平和的解決、③内政不干渉と不介入、④未解決の二国間紛争への不関与、⑤静かな外交、⑥相互尊重と寛容、などからなる一連のルールに基づくASEAN外交のパターンをさしている(J.Haake、注10)。近年、南中国海の領有権をめぐって、中国とASEAN諸国との係争が続くなかで、ASEAN方式がどこまで有効性をもつのかが注目されている。
この点にかんして研究者の湯澤武は次のように評価している(注11)。ASEANは90年代初頭の中国によるスプラトリー諸島(南沙諸島)への進出を契機として、長年、南中国海におけるルール形成に取り組んできた。ASEANによる南中国海外交の特徴は、第一に、問題の「解決」ではなく、「管理」にその目的をおいていることである。「問題の管理」とは、係争諸国間の軍事的衝突を未然に防ぐこと。そのためにルールを策定し、それを運営することである。ASEANは問題の平和的解決を提唱するが、係争各国の主権や領有権の確定といった問題には立ち入らない。こうした中立性を重視する外交姿勢は、先に述べたZOPFAN宣言に由来するものである。第二の特徴は、「対話と協議」、「内政不干渉」、「コンセンサスによる意思決定」、「非公式性(合意の自主的履行)」、「段階的(step by step)な合意形成」といったASEAN方式によるアプローチである。
南中国海におけるルール形成
それでは南中国海のルール形成におけるASEAN方式の成果はどのようなものであろうか。
第一にそれは、「ASEANが、自ら主導するルール形成の取り組みに中国を長期的かつ継続的に関与させてきたこと」にあるという。中国は係争問題については当事者間の二国間主義を主張し、多国間でのルール形成に抵抗してきた。その中国の関与を、「南中国海における関係国の行動宣言(DOC)」(2002年11月締結)や「南中国海行動規範(COC)」(2017年8月合意)をめぐって、長期間にわたって粘り強く引き出してきたのである。
それ以外の成果として、第二にルールの質的発展、第三に係争諸国から一定の自制を引き出したことなどがあげられる。
「コンセンサスによる意思決定」は、事実上ルール形成に関わるすべてのアクターに拒否権を与え、交渉時に少数派が多数派に支配されることを防ぐ手段となった。また「非公式性(合意の自主的履行)」は、万が一自国に不利にルールが構築されても、その履行を回避することが可能となった。湯澤は「つまりこれらの規範は、すべてのアクターが自らの利益の多大なる損失というリスクを背負うことなく、一定の『安心感』を持って、交渉に参加することを可能とし、それゆえ全てのアクターからの継続的な関与を引き出すことができる」として、この「安心感」から生まれる親和的な交渉環境の醸成こそが、ASEAN方式によるルール形成の最大の強みであると評価する。
ASEAN方式と多元的安全共同体
一方で、ASEAN方式の成果は同時にその限界となって現われている。「最大の問題点はルールの実効性に持続力がないことである」(湯澤)。
コンセンサスの重視は、全てのアクターの利益を確保する観点から合意事項の定義があいまいになりやすい。「非公式性(合意の自主的履行)」は、合意の不履行という問題に直結する。法的拘束力や制裁機関を持たないASEANが、決定事項や合意事項への違反行為を防止するのは難しい。またASEANが重視する「対話による説得」も、パワーポリティクスを前面に押し出してくる大国から意義ある譲歩を引き出すためには限界がある。
このような限界があるにも関わらず、どうして各国政府はASEAN方式の継続に合意を与えているのだろうか。その理由を各国政府の利害得失の観点だけから導き出すのは無理があるだろう。それでは、各国政府の思惑を超えた政治的あるいは経済的な力学がはたらいているのだろうか。
もしもそうだとするならば、それは外部からの圧力なのか、それとも内部の機制なのか。「外部からASEAN方式を押し付ける」ということはまず考えられないだろう。だとすれば、ASEANの内部で何らかの機制が働いていると考えられる。その機制は、ASEANを支えている多元的安全共同体が機能していることによって生みだされていると考えることはできないだろうか。
「ASEANを支える多元的安全共同体」という仮説が正しいとすれば、ASEAN方式の限界を克服する方策も自ずと明らかになるのではないだろうか。それは多元的安全共同体の機能をより高度化することだと考えられる。(つづく)
(注9)須藤季夫「東南アジア地域主義を牽引するASEAN方式の考察」(注10)同前(注11)湯澤武「ASEANの対南シナ海外交の効用と限界 ルール形成の取り組みを中心に」