世界の金融センター、ニューヨークのウォール街

資本主義がどういう末路をたどるのかは識者の間で意見が分かれる。ここではマルクス以降の資本主義批判でもっとも有効と思われるカール・ポランニーとイマニュエル・ウォーラーステインを参考に「社会構想」を考えてみる。(初出『フラタニティ』№30)

ポランニーは市場と社会の対抗的な「二重運動論」で有名である。彼はその主著『大転換』で19世紀初頭から1929年世界恐慌に到る資本主義の歴史を、市場の自動調節メカニズムによる破壊的作用とこれにたいする社会の自己防衛反応の相克として描き出す。そもそも商品として生産することができない労働(人間)、土地(自然)、通貨の供給を、競争を通じた市場の自己調節機能に任せれば人間も自然も破壊され、市場経済そのものが成り立たず、ひいては社会の存続そのものが脅かされる、というのである。
こうした主張は70年代以降の新自由主義の展開を予示するかのような説得力があったことから、今日再びポランニーに注目が集まっている(※1)。彼の論理を現実の政策にどうやって落とし込むかは容易でないテーマだが、本稿ではポランニーが商品経済になじまない疑似商品として、土地や労働と同じ次元で通貨をあげている点をとりあげたい。金融市場が実物経済をはるかに上回って巨大化し(「金融化現象」)、サブプライムローンなどの金融投機が各国経済に破壊的影響をもたらしてきたにもかかわらず、通貨が何であり、これをどうすべきか、というテーマはほとんどとりあげられてこなかったように思うからだ。

ポランニーと
  マルクスの通貨論

実はポランニーのような通貨の理解は従来の左翼になじみが薄い。
彼は一連の草稿でペルシャ、ギリシャなど古代帝国社会の分析を通じて通貨論を展開し、金が代表するような「商品としての通貨」という在り様はあくまでも資本主義に固有な限定された様式にすぎないことを示す。彼にとって通貨は言語や度量衡と同一の意味論的システムであり、人間社会を維持するために欠かすことができない。需要供給に応じて通貨の価格が乱高下すれば社会が崩壊するため、労働や土地と同様、通貨を商品として扱ってはならないというのである。
ひるがえってマルクスの場合、商品と商品に含まれる価値の分析から通貨を導き出す。一群の個別商品にたいして交換価値の特性をもっとも表象しやすいことから、金こそが普遍的な商品として価値の体系を表現する「世界貨幣」となり(『資本論』)、商品経済の廃止に伴って通貨は労働証書に置き換わる(『ゴータ綱領批判』)。
マルクスは「貨幣の廃止」とは言っていないのだが、長い間左翼にとって通貨こそ商品経済の悪を象徴する存在であり、通貨制度を廃止し、労働証書制に移行することが共産主義社会の一つのメルクマールとされてきた。ポルポト派は確かに極端だが、通貨論に限れば彼らが例外だったわけではない。「通貨を媒介しない交易」を理想化する傾向は今でもあちこちで見られるし、地域通貨を礼賛する流れもこういう理解の延長上にあると言えよう。

通貨の廃止?

だが、これまで通貨廃止の試みはことごとく失敗してきた。
ロシア革命直後に「通貨の廃止」を宣言したいわゆる戦時共産主義の場合、インフレで通貨が紙くずとなり、物々交換でしか経済が回らない現実を「共産主義社会の到来」と強弁したにすぎない。実際には既存のルーブルが価値を失ったことで原材料や人件費などの生産コストが計算できなくなり、各工場では生産物価格の設定も生産計画を建てることも不可能となった。トロツキーが述べたように、戦時共産主義は攻囲された城砦内部で物資を再配分、つまり限られた人員と物資をコスト度外視で軍需産業に優先配分したにすぎず、革命後の民生経済は完全に崩壊した。内戦が終結すると安定通貨の再建が当局の至上命題となり、金価格と連動した金ルーブルという新通貨体系を導入することでようやく戦後の経済再建が緒についたのである(※2)。
通貨で表現される物と物の交換比率(諸商品の価値の体系)は、これをどんな通貨で表現するにせよ、その抽象化された体系を人為的に操作することも破棄することもできない。百円のペンと千円のシャツを1ドル対10ドル、1千ウォン対1万ウォンと表現することはあっても、1:10という価値の比率は変えられない。マルクスが言うように、商品価値は社会的分業が転倒した形で商品に投影されたものだからである。通貨のシンボル的な機能によって社会的分業が媒介されるわけだが、資本制社会では通貨もまた商品として扱われるため、純粋なシンボルとして通貨が存在するわけではない。
金本位制の下では金の総量で通貨発行量が規制されるため、金の需要供給に応じて金価格が乱高下し、恐慌が起きるたびに世界経済は大打撃を被った。ニクソンショック=金兌換停止後の管理通貨制度においては、実在する金の重量に左右されることなく貨幣発行量を調整することで価値尺度としての通貨の機能が維持されている。日銀の発行する円もまた特殊な商品である以上、市場取引を通じて価格が乱高下する危険に常にさらされているが、日銀は円の価格を安定させるために需要と供給に応じて金融市場で円を供給したり引き上げたり、実に細かい調節や操作を連日行っている(※3)。(つづく)

(※1)佐伯啓思が『経済成長主義への訣別』(新潮社)でポランニーの観点から新自由主義の展開をまとめている。W・シュトレーク『資本主義はどう終わるのか』(河出書房新社)もポランニーの構想を引き継いで現在の政治経済システムを包括的に描いている。
(※2)E・H・カー『ボリシェヴィキ革命』第二部(みすず書房)。
(※3)古川顕『日本銀行』(講談社現代新書)参照。1989年発行の本書の内容は金融緩和以降ではかなり位相が変わっていると思うが、日銀業務を一般向けにわかりやすく解説する類書は他になかなか見つからない。