ジェンダーを勉強している学生から『LGBTを読みとく』(森山至貴/筑摩新書)を勧められた。「大事なことは自分に傷つける意図がないことではなく、相手が傷つかないこと」「安易な『共感』への飛びつき」ではなく、さまざまなセクシャル・マイノリティのそれぞれの人が抱えるさまざまな苦しみや痛みを知ることが大切だ」との前書きに、一喝された。クィア・スタディーズ(注1)という新しい学問領域があることを知った。
 のっけから、セクシャル・マイノリティとは社会の想定する「普通」からはじき出されてしまう性の在り方を生きる人びとのことであり、「普通」という暴力が差別であり、「普通」という暴力を解除するアプローチに導く。この学問は、政治や社会運動と違い、当事者を直接支えることはできない。が、この学問が使う知識が「普通」という暴力を解除する鍵になり得るし、政治や社会運動のステップとなると、説く。そして「差別する側の意図」と「差別される側の被害」が天秤にかけられ、前者が尊重されることがマイノリティに強いられる「良心の暴力」であるという。
 個人の性別と恋愛感情や性的欲望の向かう先の性別(性的指向)は連動せず、両者は独立していることをハッキリさせることの重要性だ。異性愛以外の性愛の形は生物学的に充分あり得るし、「(生殖活動をしない性愛は)生物学的に正しくない」との主張は全く根拠がないと。そうしてLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)を「性的指向」「生物学的性別」「社会的性別(ジェンダー)」「性自認」等の概念を使い、きちんと定義し、セクシャル・マイノリティの社会運動の歴史を語る。
 歴史では、当事者たちによる社会の無理解と偏見との厳しい闘いのなか、アイデンティティとコミュニティをテコに、偏見・抑圧を乗り越えていく過程が記される。HIV/AIDSの逆流のなかで、日本の薬害エイズ事件隠蔽のために、エイズの血友病患者ではなく、アメリカ在住の日本人同性愛者の男性を「第1号患者」にすり替えるという、二重の差別を利用した犯罪行為を権力側が行なっていたことに衝撃を受けた。
 ポスト構造主義(注2)が、この学問に与えた影響についても言及し、〈多様性と連帯の継続〉〈差別への抵抗の契機の探求〉〈アイデンティティの両義性への着目〉などクィア・スタディーズの基本視点も明らかにする。「よくわからない領域」や「普通」にとらわれた自分を、丁寧に対象化してくれる本に出会えてよかった。
 (注1)クィアQueer 性的マイノリティや既存の性認識に当てはまらない人たちの総称。
(注2)個別の実践を可能にする背後の普遍的な仕組み、構造に着目する構造主義に対し、逆に構造によって成立する個別の実践がその構造を食い破っていく契機の内包に着目するのがポスト構造主義。