
米軍の統治下に、沖縄県は米軍基地経済に依存していました。日本復帰後、そこから脱却は県民の総意に近いものでした。自立への道です。観光産業もそのうちの一つ。平和産業として、私も賛成です。
沖縄は、本土とは違った歴史と文化を持ち、青い海や亜熱帯の景観があります。それらを壊さない観光地をつくり、戦没者慰霊を兼ね、基地に囲まれた沖縄の現状も見てもらいたいのです…。
復帰時の72年、観光客は44万人。その後、海洋博(75〜76年)が開かれ、跡地は海洋博記念公園(76年)となり、美ら海水族館がオープン(02年)し、海にも島にも陸にもレジャー施設が出来ました。観光客は増え、コロナ禍前の19年には1千万人を超えました。
増加に合わせ宿泊施設が建てられ、19年12月現在県全体で約3千、客室数5万4千、収容数14万9千人です。雇用も伸び、直接、間接、波及効果により約14万3千人の雇用が創出されたそうです(「沖縄投資ビジネス情報」20年4月)。
17年度の観光収入は6912億円となり、毎年3千億円と言われる基地関連収入を大きく上回っています。辺野古ゲート前で「米軍基地をやめ、ホテルを建て保養地にしよう」と言ったこともあります。
しかし観光産業が進展するにつれ、弊害も目に入ります。辺野古へ行き帰りに通る、海に面し田園風景がある恩納村には、大型リゾートホテルがどんどん建てられています。それらが海浜を取り囲み、道路から海を見えなくしました。高台のホテルは、見晴らしをよくするよう樹木を切り倒し、土地を削りました。
観光客も変わってきました。那覇空港に降りホテルに直行、オーシャンビューのホテルで過ごし、また那覇空港に戻るという「旅行客」もいます。「YOUは何しに沖縄へ」と言いたいのですが…。
▽観光も楽しみ
基地も見てほしい
ホテル資本にも変化が。少し古い統計で09年度、500人収容大型ホテルの内、約7割は県外・国外資本と言います。今は、もっと進んでいるでしょう。県外・国外資本の勢いに、沖縄では大手に入る「かりゆしグループ」も苦しいのでしょうか。経営トップは、辺野古反対の「オール沖縄」から、翁長知事が亡くなったころ抜けました。「菅官房長官(当時)は、沖縄のためよくやっている」という発言が、新聞報道に載っていました。菅官房長官が、那覇空港第2滑走路建設、北部リゾート地への高速道路建設に手腕を見せたことを指すのでしょう。政権に近寄らねば、経営が危なくなるとの判断でしょうか。
今、コロナ禍で沖縄の観光、宿泊業は大打撃を受けています。観光客数は、20年は63%減の373万人。日本復帰後、最大の減少です。沖縄は、非正規雇用が多いのです。コロナによる経営の厳しさがすぐに非正規従業員にしわ寄せします。ホテルで働きながら辺野古の座り込みに参加する人に聞くと、労働組合を結成し、生活を維持していると。コロナ禍は、沖縄のホテル・観光業の問題を浮き彫りにしています。
コロナ禍の下でも沖縄観光は人気があり、感染が収束すれば観光客は戻るでしょう。しかし、元に戻ればよいというものではなく、課題を考え意義ある観光に向かってもらいたいものです。
(冨樫 守)