
日本の裁判所が「本来あるべき司法の姿」から遠く、「権力チェック機構」の性格が弱すぎ、「権力補完機構」の性格が強すぎる実態を丁寧に分析している。
▽「司法は動くな」
福島原発事故後の司法研修所の研修会(13年)で、(1)原発運営は高度の政治問題で判断いかんでは政策の混乱まねく、(2)最高裁判例が示した枠組みに従うべき、(3)原子力規制委員会判断を尊重しゼロリスクを要求すべきでない、(4)規制委審査中の今は司法は動くときでない、とのガイドラインが示された。大変驚いた。
袴田事件、静岡地裁による再審開始決定をくつがえした高裁決定「細胞選択的抽出法」(本田鑑定)の判断方法は、「訴訟法の根幹をなす手続き保障の精神に反する不意打ち」という。確定有罪判決ですら、自白調書45通のうち44通の証拠能力が否定されているのに、「警察による証拠捏造の可能性を認めたがらない」裁判所であると。
▽「前代未聞の判断」
その他、大崎事件地裁・高裁が認めた再審開始を最高裁がくつがえした「前代未聞の判断」や、裁判所の性暴力事件の判断が極めて甘いこと、辺野古訴訟では福岡高裁の国策に沿うスピード判決、一人一票裁判の世界標準との落差、夫婦別姓裁判での「踏み出すべき一歩を踏み出せない最高裁」など、細かに分析する。
▽死刑が多数決で決まる
アメリカの陪審員裁判は、全員一致が原則。全員一致に至らないと、やり直しだ。日本の裁判員裁判では過半数の多数決で結論が決まる。「死刑判決が多数決で決まる非常識」と弾劾する。裁判官3名が全員「有罪」、6名のうち4名の裁判員が「無罪」でも、有罪や死刑判決となる。「本当は市民の判断など信用していない裁判所当局の態度が明白」と手厳しい。
裁判員が守秘義務違反した場合の刑罰に懲役刑まで含まれるのは、「市民参加を呼びかける一方、懲役刑で脅かすのは人を愚弄しないか」という。
死刑廃止論も「犯罪は社会全体のひずみやゆがみの反映の側面が強く、実際には国家や共同体の責任部分もあり(例えば幼児虐待は国や共同体が防止すべき責任がある)、犯罪者だけに究極の自己責任を負わせるのは問題。逆に重大犯罪を死刑という形で処理することで、権力にとって犯罪にかかわる自らの責任から人々の目を背けさせ、人々のやり場のない不定形な報復感情にはけ口を与える、都合のいい手段でもある」。
ベラルーシをのぞくヨーロッパ諸国、カナダ、オーストラリア、アメリカは22州5自治領で死刑が廃止されている。国連の死刑廃止条約は、88か国が締約国。13名のオウム死刑囚の死刑執行(18年)の記憶は生々しい。なぜオウム事件が起きたか、議論や社会分析は霧散してしまった。
なぜ日本の裁判所はこうなってしまったか。最高裁発足時からの最高裁判事の人選からして、陰謀・権力争い、事務総局による裁判官の統制・管理にこそ問題があるという。〈司法の正義性世界ランキング〉があると、日本は何位か。大変興味深い。(村)
〔角川新書、1034円(税込み)〕