邑久光明園の敷地の中にある納骨堂

かねてより行きたかった国立療養所・邑久光明園(岡山県瀬戸市)を訪ねました。天気も良く、カキ養殖の筏が浮かぶ瀬戸内海がキラキラと光り、風光明媚という言葉がぴったりでした。
1938年、邑久光明園は長島にハンセン病療養所としてつくられました。もとは大阪の外島にあったのですが、34年の室戸台風で壊滅し、長島に移されたのです。ハンセン病は「国辱病」と言われ、患者は完全隔離を終生強いられました。
戦後はプロミンなどの治療薬ができ、退所した人たちもいます。戦前の1943年には園に1171人の入所者がいましたが、現在は60人(病床数339床)になっています。平均年齢は88歳、在所年数の平均は60年に及びます。
邑久光明園に連れてこられた患者さんたちは、三つのことを強要されました。①家族や故郷から縁を切るために「園名」を使う。②生きるよすがに宗教を選ぶ。③解剖承諾書に同意する。
どこの療養所にも納骨堂があります。今なお引き取り手のない遺骨があるといわれます。邑久光明園には日蓮宗、浄土真宗、真言宗、天理教、金光教、キリスト教、創価学会と7つの宗教施設がありました。春秋に行われる法要は、各宗派持ち回りで順番にするのだそうです。解剖承諾書にサインを強要することは、わが国のハンセン病隔離政策の非人間性を示す最たるものでしょう。年端もいかない少年少女の患者にも当然のように求められました。
  (こじま・みちお)