松本清張『殺意』

松本清張
『通訳』(光文社文庫/「松本清張短編全集04殺意」に所収)764円(税込)
徳川第9代将軍家重と彼の側用人の大岡忠光の物語りである。
徳川吉宗の子ども、家重は重度の脳性まひで重い言語障害だったらしく、側用人の大岡忠光だけがその言葉を聞き取ることができた。大岡は幕閣との「通訳」として働き、側用人から2万3千石の大名にまでになった。
清張の芥川賞受賞作『或る小倉日記伝』の主人公も脳性まひ。清張の近くに脳性まひ者がいたのかもしれない。しかし、家重の描き方が酷い。「家重は、吃りで、癇癖の強い人間になった。(中略)だから陰気で異常な目つきを備えてきて狂疾者を思わせるように、人々を気味悪がらせた」と書いている。

宮尾登美子『天璋院篤姫』

宮尾登美子
『天璋院篤姫』上・下』(講談社文庫)各759円(税込)
ペリーが浦賀に来航した直後に家慶から将軍を引き継いだ第13代将軍家定と結婚したのが篤姫。ぼくは、権力者側を主人公にすることが多いNHKの大河ドラマが大嫌いなので、『篤姫』で家定役の堺雅人がどんな演技をしたのか知らなかった。ユーチューブで確認すると、家定には歩行障害も言語障害もなかった。家定は、篤姫に優しい気遣いをする将軍だった。
小説の『天璋院篤姫』で宮尾登美子は、家定を病弱で意思の弱い、性的能力のない人間に描いている。家定の前の正妻2人は結婚後すぐに亡くなっており、子どもがいない。篤姫との結婚生活は1年7か月だったそうだが、「夫婦生活はなかった」「側室とも、関係ができなかった」と書いた。

歴史小説家に望むもの

オランダ商館長・ティチングの『日本風俗図誌』に「彼(家重)の話す言葉は他人に分からず、ただ合図のようなものでしか自分の言おうとしていることを人に伝える事ができなかった」とある。『続三王外記』には、「家重は歩行が困難で、首を絶えず振っていた」と書かれているそうだ。
日本に通商修好条約締結を迫った米公使ハリスの日記には「(家定は)短い沈黙の後、自分の頭をその左肩を越えてグイッと後方へ反らし始めた。同時に右足を踏み鳴らし、これが3、4回くりかえされた」とある。
外国人の残した資料には、家重にも家定にも、不随意運動を思わせる記述がある。二人ともアテトーゼ型の脳性まひだったようだ。作家は資料や文献を調べ、想像力も使って小説を書くのだと思うが、脳性まひ者を「病弱で意思が弱く暗愚であった」と描くのは、偏見としか思われない。
ぼくは歴史上の人物の息遣いが聞こえてくるような作品が好きだ。物語や講談などで語られる歴史は稗史と呼ばれ、正史より価値が低いと見られるが、楽しく歴史を知ることができればいいと思う。医師で作家の篠田達明は、「家重、家定ともしっかりと意思を持った人物であった」と述べている(『徳川15代将軍のカルテ』)。そんな視点にたった歴史小説が書かれるよう望みたい。
   (こじま みちお)