
私は、毎朝7時頃から始まる菅野完さんのユーチューブ番組、「朝刊チェックを」見るのを日課にしている。菅野氏さんは著述家であり、『日本会議の研究』を出版している。博識で、番組の中で話すことは社会、経済問題だけでなく歌舞伎、落語や音楽、日本史の分野にも及ぶ。
菅野さんは、辺野古新基地建設に反対の立場であり、その番組からいくつか私が知ったこと。①辺野古新基地建設費用は約8000億円かかる。②キャンプ・シュワブとキャンプハンセンを結ぶ道路(米軍専用かどうかは分からない)を建設しなければならない。③滑走路が短いので、使いにくい。報道などで明らかなように、アメリカは普天間を返還する気がない。私が言うまでもなく、みなさんはよくご存じのこと…。
私は、2014年にドキュメンタリー映画『標的の村』を観て衝撃を受け、辺野古に行くようになった。ヘリパッド建設に反対する高江にも行った。コロナ禍があり、持病の頻尿のため排尿のコントロールもしんどく飛行機の旅が苦痛なため、ここ5年ほど沖縄には行けていない。その間、沖縄に住む友人知人も増え、交流してきた。私は、もちろん辺野古新基地建設に反対だ。
3月の悲しい事故
3月16日、悲しい事故が起こってしまった。修学旅行で辺野古を訪れた高校生らを乗せた抗議船2隻が転覆し、平和丸に乗っていた女子高校生と不屈丸の船長・金井創さんが亡くなった。
私も大浦湾で抗議船に乗せてもらい、声をあげたことがある。グラスボート船で大浦湾のサンゴも見た。その時は、クジラが迷い込んできて潮を吹いていた。高校生たちも、事故が起こらなければ、楽しい思い出にもなったはず。しかし、「神さまは不平等なのか」、将来ある女子高生の命が奪われてしまった。心やさしい金井創・牧師も天に召された。
謝罪会見に憤慨
ところで、みなさんは事故直後のヘリ基地反対協の謝罪会見をご覧になっただろうか。私はユーチューブで観て愕然とし、憤慨した。緊急会見だったため、服装のことは仕方なかったとしても、あの態度は許されるものではない。一人は、腕を組みふんぞり返っていた。左側いた人は拗ねたように横を向き、記者の方に目も向けていない。まるで謝罪する態度になっていない。当事者としての対応こそ必要なのに、危機意識がまったくなかった。当然、すぐにネトウヨや基地推進派からさんざん批判された。亡くなった人を悼み、事故の責任を思い、辺野古の運動を守らなければならなかったのに。残念でならない。

問われた反対運動の根幹
事故当時インドネシアで仕事中だったという被害者の高校生のお父さんは、すぐに日本に帰国された。事故が起こった3月16日からのご家族の動きと思いが、時系列でnoteに記されており、涙なしでは読めない。
転覆事故はサンゴ礁のリーフエッジで起こったらしく、遺体の損傷もあったとのこと。遺族の悲しみを思うと胸が締めつけられる。日本航空JALは、遺体を飛行機に載せる際、カーゴではなく「一般乗客」とし、搭乗時と到着時」に(追悼の)音楽を流したという。私は3月20日までのnoteを読んだ。「20日までに、ヘリ基地反対協から謝罪や弔電は一切なかった」と、お父さんは記している。ヘリ基地反対協は、5月1日付のホームページ上に事故についてのお詫びの見解を載せたが、遅すぎる。
私自身、25年ほど前に名神高速道路で大型トラックに追突され、同乗していた連れ合いのお母さんを亡くした経験がある。加害者と、その会社の対応は本当に不誠実だった。任意保険の連絡さえ、事故を起こした本人からではなく、代理店から電話がきたほどだった。
連れ合いは、「旅行に誘わなければよかった」と嘆きました。私も、事故に遭ってしまった悔しさと責任を感じました。今回のご家族も、同じような気持ちをずっと持ち続けられることになるだろうと思う。
再度、言う。辺野古新基地建設には、反対する。しかし、新基地建設に反対する人たちは、被害者に寄り添い心底から哀悼の気持ちを表さなければいけないと思う。2016年、米兵による島袋里奈さん殺害事件の時は、あれだけ抗議の声をあげたじゃないか。(大島秀夫)
