4月に、那覇市内で開かれた「中村哲さんを偲ぶ会」に参加しました。中村さんから勇気をもらい、自分の出来る範囲で中村さんの遺志を継いでいけたらとの思いでした。

 沖縄平和賞が2020年に新設され第1回の受賞者が中村さんでした。中村さんは、01年に国会に参考人として出席し、自衛隊の海外派遣にノーと訴えていました。そんな中村さんを記念すべき、また今後の方向を決定つける第1回の受賞者に選んだのは、保守県政(稲嶺知事)の時でした。

 受賞理由の一部を引用します。「沖縄はかつて琉球王国時代、万国津梁、いわゆるアジアの国々をつなぐ架け橋として活躍した時代があり、多様なものを受け入れる寛容さ、相互扶助の精神、未来を創造するたくましい県民性がある。ペシャワール会の活動は、沖縄県の持つ歴史的、文化的特性等を反映し恒久平和の創造に貢献するものとして創設された沖縄平和賞の趣旨に通ずるものである。よって、戦前戦後の困難な時代を経て発展してきた沖縄県から、今後の活動を支援していくために第1回沖縄平和賞をペシャワール会に贈ることを決定した」というものでした。

  中村さんが殺害されて数日後、同じ国会の参考人だった軍事評論家、小川和久さんが「アフガンへの軍隊派遣で真逆の立場だった中村哲医師の死に寄せて」という文に、「軍事組織をアフガニスタンに出せば暴力の連鎖を生むと反対する中村さん。暴力の連鎖を断ち切るためには、高速道路の中央分離帯のような一定の強制力を備えた軍事組織を投入することが必要、それによる安全地帯を作ることが第一。次に中村さんたちの井戸掘りがくるという私。かみ合うはずのない2人だったが、中村さんの穏やかさには感銘を受けた」と述べて 中村さんがめざしたのは「人づくり」からなのでしょう。生活できる環境をつくり、人間性を磨き、情にあふれた人間関係をつくれば、おのずと平和になる。少し硬い表現をすれば、「人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚し、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」(日本国憲法前文)、平和を守ろうとすることなのです。

 辺野古新基地建設も「軍事力で平和を」と言って、札束が舞っている世界です。19年6月では「岩ずり」(実際には土砂に見える)が、以前の単価は1870円/?であったものが、いまは5370円につり上がっています。そうなると、土砂に遺骨が混じろうと、軍事基地に使われようと、「力と力」という世界に呑み込まれ、業者は採掘に血眼になり「心が荒れて」来ています。

 中村さんの遺志を継ぐとは、辺野古新基地建設は沖縄県のめざす平和の方向ではないことをかみしめ、止めることなのですね。(冨樫 守)