
兵士たちの敗戦
前回に続いて、五味川純平の『関東軍私記~虚構の大義』より。関東軍の狙撃兵・杉田の話。兵士たちは牡丹江近くの伊林地区の丘陵地帯で、ひたすらタコ壺と呼ばれる穴を掘った。1945年8月12日夜、隊員たちに酒とキャラメルが配られた。いよいよソ連軍戦車部隊との戦いが始まるのだ。杉田は「明日は死ぬ。あらん限りの恐怖と後悔を味わったあげくに、死ぬであろう」と覚悟を決める。
翌13日、ついにソ連戦車隊30、40台が横に並んで前進してきた。そして、戦車からの砲撃が始まる。圧倒的な物量で攻めてくるソ連軍に対し、杉田たち日本兵の武器は、鉄砲の弾30発と手りゅう弾2個のみであった。戦車に取りつき手りゅう弾を投げ入れることもままならなかった。杉田の所属していた中隊158人のうち、生き残ったのは杉田上等兵、徳広伍長、山下、村井2人の初年兵だけだった。陸軍の階級序列では伍長が上等兵より上であるが、杉田は生き残るために4人のリーダーとなって満州の地をさまよう。そして50日後、敦化というところでソ連の捕虜となった。
侵略と傀儡国家の末路
日本はポツダム宣言を受け入れ、天皇が8月15日に「玉音放送」(この言いようもむかつくが)を行った。大本営が各総司令官に即時戦闘行動の停止命令を出したのは、8月16日の午後4時であった。関東軍総司令部では停戦命令を受けた直後に幕僚会議を開いた。「徹底抗戦すべし」の意見が多数を占めたが、さすがに天皇の詔に従うことになる。
皇帝溥儀は日本に亡命したかったようだが、日本は用なしの溥儀に冷たく、奉天飛行場でもたつく間にソ連軍につかまり8月20日、ソ連へ連れていかれた。1945年8月18日に行われた満州国高官会議により、皇帝溥儀の退位と解体の決定をもって「満州国」は消滅した。軍部、資本家、岸信介ら官僚らが、日本の戦時経済を支えようと「建国」した侵略と傀儡国家の末路である。〔おわり〕(こじま みちお)
