
沖縄の旧盆行事は、盆の7日前から始まります。今年は8月22日が7日前でした。その日は「タナバタ」で、お墓掃除に行きます。本土のどこかも、お墓掃除をする地域はあるでしょう。タナバタと聞くと織姫と彦星の話や、竹に吊した願いごとの短冊などが思い浮かびますが、沖縄ではそんなロマンチックな話とは縁遠い、墓掃除の日です。
旧盆は初日、中日、終わりの日と3日間。初日をウンケー(御迎え)、落日をウークイ(御送る)と言います。今年は8月28日がウンケー、30日がウークイでした。祖霊を迎え家の中で接待し、送り出します。我が読谷村喜名集落では不思議なことに、この期間を豊年祭と言っています。旧暦8月15日は旧盆であり、その日は満月。月に向かって秋の収穫を祈る行事が、盆行事の伝来以前にあったかも知れません。
死者たちの正月
沖縄に盆行事が定着したのは、それほど古いことではないでしょう。祖霊を祀る行事は4月の清明祭の時にもあり、その時もお墓に行って一門の人と共に祖霊と共食をします。さらに古くは、祖霊との共食が満月の旧暦1月16日に行われたと思われます。いまでも旧暦の16日(ジュウロクニチ)という行事が残っています。死者たちの正月と言われています。
盆になると、各家の仏壇には果物やお菓子などを供え、先祖が好きだったろうとお酒も供えます。先祖がこの家にたどり着くのに使用したサトウキビの杖を仏壇に置きます。本土では茄子で馬を作り祖霊が馬に乗って往来すると考えますが、我がところでは杖です。
食べ物は、初日のウンケーがジュウシー(混ぜご飯)、中日にそうめんを食べ、最終日のウンケーにウジュー(重箱につめた調理した食材)を食べるという具合です。祖霊に供したものを食べます。共食なのです。
エイサーで 迎え送る
お盆の期間の内、ウークイ行事が盛り上がります。先祖に出来るだけ家に居てもらおうと、グソウー(あの世)に送り出す時間が遅ければ遅いほど良いと考えます。エイサーを踊るのも、この日です。エイサーは豊臣秀吉による朝鮮・明侵略のころ、陸奥国岩城出身の袋中上人が明に渡るつもりで琉球に来ていたときに教えたと言います。東北に伝わる「鹿踊り」が原形かもしれません。
このエイサーが終わるころには、仏壇に供えた物をお土産にと祖霊に持たせます。また家に招かれなかった霊が周りをうろついているので、その霊に対する供え物を一片、屋敷の隅に置きます。その霊は、自分を祀ってくれる子孫や親戚筋がいないから、うらやんでいるとのことです。
摩文仁の丘に戻る
戦争が祀られない霊を増やし、うようよといます。祖霊は後世(グソウ)へお土産を持って旅立ちますが、祀られない霊はどこへ帰るのでしょうか。沖縄戦で死に、自分の遺骨がまだその地にある霊は、そこに戻って行くのでしょうか。摩文仁(まぶに)の丘は、その一つです。
8月22日の新聞報道によれば、近々、熊野鉱山による摩文仁の丘の土砂採掘に許可が出るとのこと。その遺骨混じりになりそうな土砂が、辺野古の海の埋め立てに利用されると推測されています。遺骨の要は、喉仏です。小さくて拾ってもらえなかったのでしょう。土と見分けがつきません。本来なら、その場所を聖地としておくべきなのでしょうに。欲がからむと、単なる土としか見えなくなっています。
ただ、お盆が終わるまでは採掘はやらないでしょう。この期間は、辺野古の工事もストップです。祖霊の力です。お盆の間は、心休まる時でした。(富樫 守)
