徳田弁護士

1967年9月、司法試験。ときどき東京地裁や高裁を訪れ公判を傍聴していた。高裁でたまたま傍聴したのが、狭山事件だった。その日は、脅迫状の筆跡鑑定について弁護人と裁判長が厳しくやり取りをしており、傍聴席には石川さんのご家族らしき人たちが数人いただけだった。閉廷し、腰縄をうたれ退廷する石川さんに、ご家族が「一雄、体に気を付けて」と声をかけられたのを鮮明に覚えている。
狭山事件と菊池事件の冤罪構造の共通性。偏見と差別が作り出した冤罪である。狭山事件こそは、犯人は被差別部落の住人に遵いないとの差別意識にもとづく思い込みが、石川さんを犯人に仕立て上げた。
捜査機関が致命的な失策を犯していること。狭山事件では周知のとおり、捜査にあたった警察が致命的な失態を演じている。犯人が指定した身代金受渡場所、現場に多数の警察官が張り込みながら、現場に現れた犯人を何と取り逃がした。とんでもない失態である。この失態こそが、その後の捜査に実に大きな影響を与えた。失態を回復するために、どんなことをしてでも短期間に犯人を挙げなければ、という圧力となったからだ。

捜査機関による「証拠」捏造
二つの事件は、警察が重要な証拠を捏造したと考えられる点でも、実によく似ている。菊池事件の場合は、殺害の凶器とされた短刀が捜査機関によって作り上げた。
狭山事件では、それらがいくつも起こっている。なかでも、万年筆の捏造である。犯人が身代金を要求した手紙を送りつけ、その手紙は万年筆で加筆されていた。しかし、石川さんはそのような万年筆は所持しておらず、2度にわたる家宅捜索でも発見されなかった。
ところが、逮捕から1か月以上経過した日に行われた3度目の家宅捜査で、勝手口の鴨居から発見されたとされている。鴨居は、決して目につかないような高さではない。
狭山事件の万年筆と菊池事件の短刀も、捜査機関によって突如発見された。実によく似ている。

再審における課題
(虚偽の)自白や供述は多くの点で矛盾し、客観的な事実と相違しており、私たち弁護人は、これらの事実を指摘し「供述内容は信用できない」と主張するが、裁判官は認めようとはしない。多くの裁判官は、自らや身内にとって重大な不利益をもたらすことになることを認めたという点に目を奪われるため、容易に採用しようとしない。
「細部に不自然さはあったとしても、核心部分の信用性は否定されない」という奇妙な論理により、虚偽自白や虚偽供述の信用性を認めてしまう。弁護人の指摘する矛盾点について、このような場合を想定すれば矛盾しないという論理を弄ぶ。その場合、自らの想定が正しいかどうかは、全く不問にする。再審請求では、この裁判官の頑迷というべき、このような思考傾向を打ち破ることが何よりも必要である。(2月24日「第9回狭山事件の再審を実現しよう 市民のつどいin関西」の徳田弁護士講演レジュメから一部を引用)