九条も廊下に立てり令和夏 彦坂正孚(太宰府市:5月24日、朝日歌壇)
高市政権のもとで憲法改悪論議が勢いを増している。緊急事態条項での「国会議員の任期延長」が議論となっているが、それが改憲の本当の焦点なのか。怒りがこみ上げ、頭を抱え込んでいた5月の、6月に近づいたある日、新聞に目を通していると覚えのある一句が目に飛び込んできた。この「九条も廊下に立てり令和夏」だ。
渡辺白泉という俳人がいた。彼は「戦争が廊下の奥にたってゐた」と詠んだ。日中戦争開戦から2年後の1939年に詠まれた句である。まだ、太平洋戦争には突入しておらず、本土への被害はない。それでも日常に、戦争の影が次第に大きくなってくる時期だった。

「戦争が、立つ」
白泉は「戦争が立つ」と詠む。はっきりとものが言えない時代。戦争をも非難できず、まして肯定する人間すらいた、この時代。戦争への、そのものの非難として「戦争が立つ」としたのである。戦争への、まるごとを非難したのである。
戦争は、戦場にあるのではない。戦争をさせている元凶そのものは、この廊下の奥で会議をやっている「そのもの」にあるのだ。薄暗い廊下の奥に、突然「戦争が立っていた」…、恐ろしいことだ。彼、白泉は1925年に制定された治安維持法は、対象が「共産主義者」から「京大俳句」関係者にも拡大され、弾圧が拡がった。

高市「改憲の時はきた」
ホワイトハウスではしゃぎ回った高市早苗・軍国少女が、「平和の使者」などとおだて上げたトランプは、モンロー主義をドンロー主義と言い換え、軍事外交、戦争外交、資源略奪外交として、イランを大規模に攻撃し、ベネズエラへ軍事介入、グリーンランド領有を言い、キューバへの介入、欧州同盟国への関税圧力など国際秩序をかき回している。とんでもないことだ。
高市首相は、トランプに飼われている仔犬のごとくじゃれ合い、「理想の日本国を文字にして、歴史という書物の新たなページに刻もう」「そのページをめくるべきかどうか、国民に堂々と問おうではありませんか」「立党から70年、時は来ました」と、自民党の党大会で改憲を言い放った。
2026年の初夏、この時に「九条が立つ」と詠まれた。九条が廊下の奥に立っているのだ。どう思う…。薄暗い廊下の奥でじっと見つめながら、近づいてくるのか。とんでもない、三角屋根の大きな頑丈な鉄扉に閉ざされた館で、「鵺」どもが集まり、いま吠えまくっているではないか。こちらまで聞こえる大きな声で、「九条」を吠えまくっているではないか。

曰く「国際正義」「共存共栄」
1940年、兵庫県但馬の出身の立憲民政党・斎藤隆夫衆議院議員は、2月帝国議会の衆議院本会議で、日中戦争に対する根本的な疑問と批判を提起した。「強者が興って弱者が亡びる。過去数千年の歴史はそれである」「ただいたずらに聖戦の美名に隠れて、国民の犠牲を閑却(ほったらかしに)し、曰く国際正義、曰く道義外交、曰く共存共栄、曰く世界の平和、かくのごとき雲をつかむような文字を並べている」と…。
「戦争が立つ」ころに、妙に「国際正義」「道議外交」「共存共栄」「世界平和」が唱えられてきた。そのころ、竹内浩三(写真:前列左)という三重県・伊勢市出身の詩人は、『骨のうたう』を詠った。1942年9月に繰り上げ卒業され陸軍に入営、45年4月にフィリピンで戦死した。太平洋戦争での軍人、軍属の死者数は、およそ230万人、フィリピンでは50万人という死者数になった。
その地を無責任にも「絶対国防圏」などと定め、決戦までの時間稼ぎに送り込まれた捨て石が、竹内浩三をはじめとするフィリピンの戦死者である。補給路も断たれ、飢えながら各地で玉砕を重ね、山岳地に退却を重ねていった。フィリピンの民衆、街、村を蹂躙しながら…。

「ひょんと死ぬるや、あわれ」
『骨のうたう』の最初の一節に、「戦死やあわれ 兵隊の死ぬるやあわれ 遠い他国で ひょんと死ぬるや だまって だれもいないところで ひょんと死ぬるや…」、そして最後の節に「ああ 戦死やあわれ 兵隊の死ぬるや あわれこらえきれないさびしさや 国のため 大君のため 死んでしまうや その心や」(全文は、竹内浩三全集『骨のうたう』参照)と詠った。
短い、実に短い、断片的なことばが、強烈に意思を、思いを包み込ませながら一塊の洪水のごとく押しよせる。幾度となく、目をしばたかせた。しかし、己の目や鼻や、口までもが閉ざされ、藻搔き、苦しめられる。どうも、社会から、自分自身を切り離し、見捨てようとしていたのか。己の足場は何か、この社会そのものに居場所はあるか。人のながり、居場所はあるのか。

『骨のうたう』
知識としての戦争ではない、この戦争へ参加した先人の思いが先立ってくる。竹内浩三の『骨のうたう』は、戦地に向かうため入営するより前、彼が21歳の時に書いた。この詩には、声高な反戦も、まして勇ましい軍国主義でもない、ひとりの若き青年が素直に綴った詩である。
戦前を声高に断罪することも、戦後を再評価することにうんざりしてきた。たったひとりで黙って向かい合う、自らの運命と戦後の有り様を、なにかを予見する。この一編の詩が、私たちと今をつなぐ強い糸であって欲しい。そんなことを考える。

日本が見えているか
もう二編、竹内浩三の詩を紹介したい。『5月のように』と題された長編である。はじめの節句、「なんのために ともかく生きている ともかく どう生きるべきか それは どえらい問題だ それは一生考え考えぬいても、はじまらん 考えれば 考えるほど理屈が多くなり、こまる」と述べ、「青空のように 5月のように みんなが みんなで 愉快に生きよう」と終わる。私も、あなたも、「なんのために」と悩んではいないか。「なんのために」と自分を苛まれ、これからも苛まれ続けるかもしれない問いが、そこにある。どうだろうか、「なんのために」と苛み続けよう。勇ましいことばなどいらない。「白い箱にて 故国をながめ」(『骨のうたう』)、帰ってきた竹内浩三は、「日本が見えない」と詠う。あなたには「日本が見える」か。「日本よ オレの国よ オレにはお前が見えない 一体オレは本当に日本に帰ってきているのか なんにもみえない オレの日本はなくなった オレの日本がみえない」…。もう一度言おう、あなたにはあなたの日本が見えるのか。日本の姿が見えているのか。恐ろしい日本の姿が、いま見えているか。(嘉直)(つづく)