
「国民の大統領」
いま、朝鮮半島と東アジアにおいて構造的な変化が生まれています。その結果、既存の東アジアの安全保障秩序が大きく変わろうとしています。
最初に韓国のイ・ジェミョン政権について触れたいと思います。イ・ジェミョン氏は大統領就任後、「私は青(民主党のシンボルカラー)の大統領ではなくて、国民の大統領だ」と言っています。そして強調しているのが、「分断ではなくて統合」、そして「対立ではなくて包括」です。
「ネタニヤフの逮捕を検討せよ」
韓国は大統領制ですので、大統領が国会で施政演説や答弁をすることはありません。ところが、イ・ジェミョン政権になってから韓国の国務会議(日本の閣議に相当)の一部が公開されるようになりました。私が特に注目したのは、5月20日の国務会議で大統領が、イスラエルのネタニエフ首相の「逮捕を検討しろ」と指示した場面です。
5月にガザ地区に支援物資を送ろうとしたボランティア団体の船をイスラエル海軍が拿捕し、乗員を逮捕して暴行を加えるという事件がありました。その中に 2人の韓国国民がいました。国務会議ではイ・ジェミョン大統領が、この件にかんする韓国外交部の報告を次々と批判をするわけです。大統領が「イスラエルの領海で拿捕されたか」と問い質したのに対して、外交部の次官はイスラエルの立場に立った説明に終始しました。業を煮やした大統領が「拿捕されたのはイスラエルの領海じゃないだろう。これは違法行為だ。大統領が最も優先すべきことは、国民の安全を守ることだ。2人の韓国の人が逮捕されていくことに関して、私はイスラエルに厳重に抗議しなければならない」と言ったのです。
こうしたやりとりに割って入った韓国の外交安保ラインのトップであるウィ・ソンラク国家安保室長が、「ガザは事実上イスラエルの占領状態にあるためにイスラエルの主権云々」と言い始めたのに対して、大統領は反論を加え、「ネタニヤフの逮捕について検討せよ」と指示したのです。この場面は公開されています。
イ・ジェミョン氏の政治スタイルの大きな特徴は、こうした透明性、公開性です。イ・ジェミョン氏は国務会議の一部を公開しています。こうした韓国の政治と日本の政治との違いは今後いっそう明らかになると思います。
「実用主義」への懸念
同時に私はこの間のイ・ジェミョン政権の実用主義についても不安があると言ってきました。実用主義とは、大統領の説明によれば、国益を中心にした政治であり、外交のことです。それは場合によっては、理念なき、羅針盤のない政治・外交になりかねない。今その不安が少し的中しています。つまり、大統領の「保守に対しては暖かく、左派に対しては冷たい」という態度を韓国の市民社会が感じ始めているのです。それが、6月3日のソウル市長選挙の敗北の背景にもなっています。また、この間、イ・ジェミョン大統領の支持率は急激に低下している大きな要因の一つだと思います。
韓国では、労働市場から外れた若者や低所得の高齢者、社会保障が届かない社会的弱者など「疎外された人たち」が深刻な問題になっています。韓国の市民社会が、「イ・ジェミョン政権は果たして『疎外された人たち』の政権なのか?」という疑問を持ちはじめているのです。
「成果給6300万円」の衝撃
今年6月サムソン電子がサムソン電子労組と団体協約を結びました。サムソン電子には、民主労総系の労働組合と、韓国労総系の労働組合があります。サムソン電子の最大労組はサムソングループ超企業労働組合サムソン電子支部(以下、超企業労組)です。
この組合は、去年9月、 6000名で発足しましたが、わずか4カ月後には7万人を超える過半数労組になりました。彼らがサムソン電子と最終的に結んだ団体協約は、年俸アップと賞与アップにプラスして成果給6億5000万ウォン、日本円で6300万円というものです。社員一人一人に年俸、ボーナス以外に6300万円(全額自社株)が支給されます。これが韓国社会に衝撃を与えています。
今、サムソン電子、SKハイニックスの株価の総額は、トヨタを含めた日本の上場100社を上回っています。それほど「AIブーム」に乗ってサムソン電子とSKハイニックスの株価が急上昇しています。 その結果としての成果給6億5000万ウォン支給なのですが、サムソン電子やSKハイニックスの急成長に寄与したのは正規職だけ、あるいは経営者だけなのでしょうか。そこには政府の税制や社会的インフラに対しての投資があり、その下にぶら下がっている多くの関連企業や下請け労働者の存在があるのです。ところが、超企業労組は社会連帯基金に1ウォンも出さない、下請け労働者に対しては団体交渉の案件にもしない、そして自分たちだけが6000万円を超える成果給を手にした。これは今後も続くわけです。
「イ・ジェミョンは誰を代表しているのか」
ムン・ジェイン政権は金融証券投資で得た利益に対して、20%の税金をかけたのですが、ユン・ソンニョル政権はこれを廃止しました。ところが、イ・ジェミョン政権はこれを復活していません。「不動産投資に流れている資金を株式に誘導するために、あえて株式投資によって得た利益に課税しない」というわけです。
それで「疎外された人たち」は「一体、イ・ジェミョン大統領は誰の利害を代弁する大統領なのか?」という疑問を持ち始めているのです。つまり、「イ・ジェミョン大統領は資本と上流、中間層を代弁する政権に変わろうとしているのではないのか。その結果、イ・ジェミョン大統領の改革のレベルが下がり始めている」と。
青瓦台も今回の支持率の低下については、「重く受け止めている」と発表していますので、今後、青瓦台、大統領がどのような政策を展開していくのかを見守りたいと思います。
「敵対的二国論」の登場
さて、冒頭で触れたように朝鮮半島の安保構造が根本的に変わろうとしています。2023年12月に開催された朝鮮労働党中央委員会でキム・ジョンウン委員長が南北関係を同族ではなく、敵対する二国関係だと規定しました。これには驚きました。この中央委員会での発言以降、この発言に基づいて北朝鮮は、この敵対的二国論を具体化し、金正恩委員長は憲法への明記を指示していました。
さて、金正恩が権力の座についたのは、2011年12月17日に金正日国防委員長が死亡した後に、朝鮮人民軍最高司令官に就任したときです(同12月30日)。現在では、朝鮮労働党の総書記兼、国防委員会が改変された国務委員会の委員長となり、今回の憲法改正で「国家首班」となりました。
金正恩時代は既に15年を迎えています。金正恩委員長が当初、明らかにしたのは経済建設と、核開発の並進路線でした。この並進路線が転換したのが2017年です。この年、北朝鮮は水素爆弾の実験に成功し、もう一方でICBMの発射にも成功しました。金正恩委員長は「核武力が完成した」と宣言しています。アメリカ本土を核攻撃できるICBMを保有し、強力な威力を持つ水素爆弾の開発にも成功した。2018年の「新年の辞」で彼は南に対して「平昌オリンピックに参加する用意がある」と初めて提案しました。この「新年の辞」を契機に金正恩委員長の妹であるキム・ヨジョン(当時、党副部長)らが訪韓します。(つづく)
※この記事は6月28日に京都市内で行われた金光男さんの講演を編集部の責任でまとめたものです。
