ベトナム戦争では、どうだったか。中学2年の社会科の授業、「シーレーン、海上交通路」の授業だったと思う。アメリカのベトナム「北爆」開始にふれ、トラックや有刺鉄線、木材、麻袋、釘などに至るまで日本の工場で造られ、ベトナムに送り出されていた。「どう考えるか」と、教師が提案授業をしたのを憶えている。
南北ベトナム全土の「統一と共産化」が進めば、東南アジア各国に「共産主義が波及するに違いない」と、それを恐れたアメリカは1965年、北ベトナムへ恒常的な空爆(北爆)を開始した。さらに、延べ300万人規模といわれる地上軍を投入し、1973年まで続く本格的な軍事介入に乗り出した。
日本から米軍に供給され、ベトナム戦争に供給されたのは、武器、弾薬、ナパーム弾、トラックなどをはじめ、枯葉剤の原料、米兵の遺体をいれる死体袋からジャングル・シューズ、土のう用の麻袋、有刺鉄線…。それらが日本の民間工場に発注され、「ミサイルからトイレットペーパーまで」と言われたあらゆる武器、物資が、沖縄の米軍牧港(まきみなと、まちなと)補給基地から、ベトナムの戦場、前線へ送られた。

最大の兵站基地と経済成長
日本は、ベトナム戦争の最大の兵站基地となった。あらゆるものを製造し、提供をし続けた。インドシナ半島の破壊行為に加担をすることにより、国を肥え太らせた。占領下の民主化政策により、解体されたはずの財閥は露骨な「死の商人」として息を吹き返した。自前の軍隊を用いることなく、日本は帝国主義的な征服と変わらない輸出市場の確保を達成したわけである。「ベトナム特需」と言われ日本経済は潤い、高度成長を支えた。ベトナムの人々の流血の上に。経済大国・日本の繁栄がつくられたのだ。
死者の血が いまだ残るかメコン河 膠の色にねっとりと流る
枯葉剤がこわしたいのち ホルマリン漬けの胎児の並ぶ部屋に夏陽が
ホルマリン漬けの異形の胎児 羊水に浮かんでいた日に やわらかき時間
(道浦母都子)

「反省なんか、しておりません」
いま高市首相は笑みをたたえ、「少なくとも私自身は(先の戦争の)当事者とは言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもないと思っております」と答えた。(国会答弁)
高市首相よ。あなたは、朝鮮戦争で流された血とベトナム戦争で流された血の海で育てられたのではなかったか。
1960年代、日本は「奇跡」と呼ばれた高度成長を長期にわたって持続した。日本本土は「平和」であり、経済活動に専念できた。本土における、その「平和」とは、沖縄を米軍政下に委ね、核兵器が貯蔵された沖縄から、爆撃機がベトナムに直行したのだ。東アジアの冷戦、戦争の矛盾を沖縄に押しつけることにより、可能となったのだ。
今ひとつは、ベトナム特需が続いたこと。ナパーム弾や各種の兵器、弾薬から衣類、雑貨、自動車・戦車・船舶の修理に至るまで日本の企業が請け負った。朝鮮半島はベトナムと同様に分断状態にあり、韓国はベトナムに軍を派遣し、その見返りに米軍は韓国からも大量に軍靴、軍服などを買い上げた。
その原材料の多くは、日本から輸出されていた。つまり日本は、ベトナムの人々だけではなく、米国と韓国の青年たちの流した血によっても金を儲け、70年代に至る成長経済を持続し得た。日本は加害者であり、圧倒的な受益者であった。

ジェノサイド
ベトナム戦争でアメリカ・米軍は、大型ナパーム弾(焼夷弾)からクラスター爆弾(子爆弾を抱える殺傷兵器)に至るまで、第二次大戦で使用した量の何倍にもあたる大量の爆弾を投下し、農村を破壊し農民を殺害し、解放戦線の潜むジャングルを丸裸にする猛毒の枯れ葉剤を大量に散布した。ベトナムへのジェノサイド(注)とエコサイドを行なった。沖縄から出撃した大型爆撃機B52は、北ベトナムへ連日のように無差別爆撃を加えた。日本は、その陰の共犯者であった。
ベトナムの人々は撃墜した米軍機のタイヤから作ったサンダルを素足に履き、旧式の兵器を携え、ジャングルにトンネルを掘り、圧倒的な軍事力と経済力の差にも一歩も引かずに戦った。
高市首相よ。驚くべき無知と無恥ぶり。何も知らないのか。日本が、朝鮮半島で、中国で繰り広げてきた名状しがたいほど困難な、犯罪。「皇民化政策」も「創氏改名」も、「日本帝国主義国36年」も、「朝鮮教育令」も「朝鮮人強制連行」も知らない、忘れ去り、居直り居座る。自らの尊大さにも気がつかない。それは最大の恥辱なのに。切り捨てる。何たることだ、高市首相よ。(嘉直)(つづく)
(注)ジェノサイド 国民的、人種的、民族的に集団を絶滅させる意図、行為を言う。*写真の1枚:空母からヘリを投棄し撤退する米軍