
イラン戦争の推移を追っていて気になったことがある。イラン革命防衛隊の軍略レベルの高さにも驚いたが、ニュースに登場するイラン政府高官の印象が、「ならず者」「宗教独裁」「テロリスト」等の米国によるレッテルとあまりにもかけ離れていたことだ。アラグチ外相の理路整然とした穏やかな話しぶりには真の知性を感じたし、ペゼシュキアン大統領の国連演説からは米国の無法にたいする人間的怒り、国際社会の理不尽に屈しない誇り高い魂が伝わってくるようだった。権力を振り回して相手を恫喝し、「自分が死んだ後に世界がどうなろうと知ったことか」と言い放つトランプやヘグセスのならず者ぶりと比べて、人間的な格があまりにも違う。
両者の違いは何なのか不思議に思いつつ、イラン政府のスポークスマン―マランディ教授が薦める著作『レジスタンス:イスラム革命の本質』(未邦訳)を手にした。筆者のA・クルーク氏は英外務省で中東外交に深く関与し、諜報機関MI6の覆面職員でもあったらしい。日本で言えば佐藤優氏のような存在だろうか。本書を一読してアラグチ外相やペゼシュキアン大統領から受けた印象が本物だったことを確信した。結論から言うと、1979年のイラン革命は、19世紀以来欧米の植民地支配とたたかってきた中東・アフリカの抵抗運動を思想的・運動的に集大成したものであり、革命イランのグローバルサウスにおける影響力は今後広がることはあっても弱まることはない、ということだ。
オスマン帝国の崩壊
ウィーンからバグダッドに至る広大な地域を統治したオスマン帝国は、西欧列強の軍事的政治的圧力の下で19世紀以降ばらばらに分解されていく。国家存亡の危機に直面し、「青年トルコ党」が台頭したトルコでは、それまでのスルタン・カリフ制に代わり、急速な近代化政策―政教分離の世俗主義、憲法と議会制度の導入、中央集権的な行政機構、工業化、トルコ民族主義など―が実施されていった。
それまでのイスラムは政治に関わらず、変化を嫌う保守的で受動的な宗教だった。膨大なコーランを読みこなせる一般人はほとんどおらず、実生活の諸問題に対処する宗教的指針はコーランを何十年も学んだイスラム法学者に指示を仰いでいた。しかし、世俗化の波が社会を覆い、従来のイスラム的階層機構が破壊されたことで、一人ひとりがコーランと向き合うイスラム改革運動が始まる。さまざまな契機から、多くの人びとが「近代化」された自国政府の腐敗と堕落、「理想」とされた欧米社会の末期的な現実と向き合うなかで、特に欧米で学んだ留学生を先頭に、近代とは何か、イスラムとは何かが一から問い直された。これは、プロテスタントがラテン語聖書を口語訳した16世紀の宗教改革に匹敵する歴史的事件だった。
イスラム改革運動の先人たち
本書では日本では知られていない著名な思想家の名前を列挙している。
ムスリム同胞団に思想的影響を与えたサイード・クトゥブ(1906ー1966)。エジプト教育省の官僚としてアメリカ、ヨーロッパを視察、帰国後に欧米の物質主義、個人主義を批判する著作を発表し、教育省を辞してイスラム同胞団の著名なスポークスマンとなる。自由将校団の軍事政権に批判的だったため、ナセル暗殺未遂事件を口実に処刑される。
イラクにあるシーア派の聖地・ナジャフ出身のバーキル・サドル(1935-1980)。『われわれの哲学』でマルクス主義に結実する西洋哲学をイスラム哲学と比較。革命イランで西洋哲学とイスラム哲学を同時に学ぶ基盤はサドル師に由来する。イスラム国家の正当性は僧侶ではなく人民にあるとし、イラン革命の思想的基盤を築いた。イラクで起きたバース党支配にたいする反乱を理由に、サダム・フセインに拷問・殺害される。
イラン出身のアリ・シャリアティ(1933-1977)。フランスに留学してアルジェリア解放闘争を支援、フランツ・ファノンの著作をペルシャ語に翻訳・出版し、これがホメイニ師をはじめイラン国内の青年層にも広く読まれた。「パスカル、マルクス、サルトルがヨーロッパに貢献した内容はすべてシーア派のなかに見出すことができる」とし、後のイラン大統領バニ・サドルとともにコーラン再読運動を展開。当時イランでもっとも影響力のある思想家と言われたが、イギリスで不審死。パーレビ朝の秘密警察サヴァクに殺されたとみられる。
ルーホッラー・ホメイニ(1902-1989)。イスラム法学者として、西欧化政策を進めるパーレビ朝の専制を批判、イラクのナジャフ、後にフランスへ亡命。保守的な宗教界がシャリアティを禁書にしようとしたが、ホメイニはシャリアティを支持、宗教界を沈黙させた。「父は、後進的で、愚かで、偽善的で、反動的な僧侶とたたかってきたからこそ、歴史的で勝利的なイスラム運動のイマムとなり、指導できた」(ホメイニ師の息子談)。政治は「選挙で示された大衆の意思に基づいて統治されなくてはならない」とし、非暴力の民衆蜂起と大衆動員による人民革命というイラン革命の構想を基礎づけた。理性による法の更新を通じて、政治秩序を継続的、動的にたえず創造しなくてはならないとも主張している。
改革運動の創始者とも言うべきクトゥブはスンニ派、その流れを汲むハマスもスンニ派だが、イランの政権とヒズボラはシーア派。しかしその影響は宗派や国境を越えて相互に及ぼしあっている。
ちなみに、革命イランやヒズボラ、ハマスは大衆運動と自治的な共同体(ウンマ)を基盤としており、暴力と破壊を自己目的化したアル・カイーダとはまったく別物である。
西洋近代とイスラム
西洋とイスラムの対立で最も重要なことは、あれやこれやの紛争や外交政策の次元にではなく、人間の本質についての考え方が根本的に違っている点にこそある。
いかに世俗的な形態をとっていても、西洋の世界観の原型はプロテスタントのそれにある。クロムウェル、カルヴァン、J・ロック、A・スミス、カール・ポッパー…様々な思想家が様々な表現をとってきたが、近代国家の基本原理は個人主義と市場経済にある。快楽と苦痛に突き動かされた個々人がそれぞれの欲求充足をとことん追求すれば、「神の手」を通じて最適な社会秩序が自ずと立ち現れる、というのだ。人間の理性は、個々人が欲求を満たす最短経路を計算するための道具であり、倫理や価値とは関係がない。カトリックやイスラムのように共同体の利害を優先し、個々人に倫理的な規制や社会的責任を課そうとする宗教は、アリや蜂と同じ動物的本能を表しているにすぎず、人類の発展を阻む障害物である。こういう「神の敵」を圧服し、個人の自由な選択と市場経済を押し広げることこそ、社会の進歩、人類の福祉という「神が与えた使命」を実現する道に他ならない。
プロテスタントが提示したこの世界観・行動様式は、現代では世俗的な形態をとっているとはいえ、本質的に、血で血を洗う17世紀宗教戦争の時代から変わっていない。西洋近代は「個人主義が社会、政治、経済の編成原理となり、個人主義とたえざる変化が善とされる、一個の新しい宗教」(ウォルター・ラッセル)となった。この近代化がイスラム世界にもたらしたものは、福祉の向上とは程遠い、コミュニティの解体、民族浄化、貧困と戦争、格差と腐敗だった。
これに比して本来のイスラムは、共同体の維持・発展を社会秩序においてもっとも重要な規範とする。イスラムの見方では、「人間はより幅広く統合された存在である。切っても切れないほど相互につながり、彼や彼女をとりまく他人や世界から『個人として』切り離されているわけではない。人間は多面的な創造物で、彼や彼女の欲望や欲求の総和以上の存在であり、倫理的価値を求めるその生来の能力が、彼や彼女のコミュニティにたいする責任の基盤として、経済、社会、政治の編成原理となる」。
「これは単純な話に聞こえるが、人間の本質に関するこの見解の相違は、宗教共同体と世俗共同体の異なる思考様式とも相まって、はかりしれない影響を及ぼしている。相互の誤解や意思不疎通は、人間観のこうした根深い分裂にこそ本質があり、一連の局所的な紛争から生じる外交政策上の問題は、分裂の原因ではなく結果的な症状を表しているにすぎない」。
本書のエッセンスを一部紹介したにすぎないが、それでも、米国とイランが対立する本質構造の一端が伝わってくると思う。確かに、トランプは西洋近代の論理が純化した人格に思えるし、革命イランがこれにたいする何らかのアンチを提示していることも間違いない。本書では触れていないが、シリアのアサド派への支援、宗教警察による弾圧など、私がイラン政府にたいする判断を留保している問題も多々ある。そうだとしても、行き詰まった現代社会を根底から見直す視点を提起するムスリムの人々に、われわれは耳を傾ける必要があると思う。
本書を読んで高薮繁子さんのことを思わずにいられなかった。2003年「人間の盾」としてイラクに赴き、その後自衛隊の撤退を申し入れてサマワに乗り込んだ彼女は、現地のムスリムの人々と接する中で「自分が求めていたすべてがここにある」とイスラム教に改宗してしまった。当時、私は彼女の決断を受け止めきれずに判断停止。しかし、この本を読んだ今ならわかる気がする。イラクで何を見、何を感じたのか―彼女の話をあらためて聞いてみたいと思った。
ALASTAIR CROOKE, ”RESISTANCE THE ESSENCE OF THE ISLAMIST REBVOLUTION”, 2009, Pluto Press.
