コロナ禍で動きが制限され、辺野古新基地を争点とした沖縄参議院選挙では相手側にかなり迫られた。辛勝であった。ロシアによるウクライナ侵略で反基地の説得力が弱くなっているのだろうか。意気が上がらぬ結果になった。
気分転換に、話題になっている奈倉有里氏の『夕暮れに夜明けの歌を〜文学を探しにロシアに行く』を手にとった。1982年生まれの著者が「文学を探しにロシアに」行ったのが、02年。08年、ロシア国立ゴリーキー文学大学を卒業するまでの6年間の留学レポートである。
文学はフィクションの手法で本質を伝える。読者は「魔力」として受け取ることもできる。著者は「夕暮れに夜明けの歌を」歌う文学を見つけたのだろうか。のぞいていてみる——
仲良しの学生から、「辞書とにらめっこしないで」とか、「図書館に住んでいるみたい」と言われた著者は、寮と学校と図書館を往復する日常の中、わずかな空間から漂う時代の空気を拾っている。
最初に出会った政治的事件は、著者と同時代の自爆したチェチェン人。この時期、テロという言葉を聞かない日はなかったと述懐している。排外主義も強まり、大学の最寄り駅で、アルメニア人学生殺人事件が起こった。現場からスキンヘッドの国粋主義団体の若者が目撃されていたのに、警察は被害者の友人を犯人に仕立てた。アルメニアのコミュニティーから抗議を受け、防犯カメラに映っていた警察幹部の息子を捕まえたが、その後の処罰などの詳細が知らされていないという。
この書はロシアの現状のルポではなく、学校でどのようにロシア語を学び、文学と出会ったかという留学体験を書いている。私の大学時代を思い出しながら読んでいくと、集中力がすごい。ロシア語の講義ノートをつくるなんて、日本語の講義ですら私にはできなかった。その勉強ぶりは、知らない学生に「勉強しかしない日本人がいるって聞いていたけど、君のこと?」と言われたほどである。
著者がいた教室に変化が出てくる。ロシア語の優位性を述べる教授。著者が敬愛するアントーノフ教授には「教科書を使え」と大学からの圧力がかかる。ロシア史から祖国史(国史)に変えた教授。そして著者の卒論のテーマが政治的であると言われた。
教室の変化には、ロシアの政治社会の変化が反映されていた。著者は、言論の画一化が進んでいたと述べている。独立系のテレビ局や新聞社への弾圧やスタッフの総入れ替え。出版社には、モスクワ中心地からの立ち退き。ロシアがクリミア半島やウクライナ東部の一部を占領する2014年以前の話である。22年のウクライナ侵略の前夜でもない。政権は、早くからマスコミに圧力をかけていたのだ。
(富樫 守)
※この稿は次号に続きます。