
関東大震災から100年、江馬修の『羊の怒る時』が復刊された。もとは1926年に単行本として出版。一市民が体験した関東大震災の発生から数日間を小説形式で著したルポルタージュだ。江馬修は当時、東京府代々木初台に家族4人で住む小説家。1923年9月1日、午前11時58分、昼ご飯の時にマグニチュード7・9の大地震に見舞われた。江馬の家は倒壊を免れたが、近所では大きな被害が出た。
当時の代々木初台は郊外のような土地。軍人の存在が身近だったのだろう、元陸軍中将や、元朝鮮総督(おそらく寺内正毅)も住んでいた。朝鮮人留学生の下宿もあり、李君、鄭君は江馬の知り合いだった。隣の家が倒壊し、産まれたばかりの赤ん坊が下敷きに。その子を2人の留学生が助け出し、母親も父親も大喜びした。震災発生1日目、江馬は大きな余震を少なくとも3回感じている。なんとか家から着替えなどを取り出し、前の原っぱに板を敷いて、その日はそこで過ごした。明治神宮あたりから地震雲がわき起こり、ほどなく雨が降り出した。大混乱のなか、人々は極度の緊張状態に陥る。神宮の森は火炎で紅く染まり、うち続く余震で人々は恐怖と不安の夜を過ごした。
2日目の昼前、新宿駅近くの交番で「午後零時半もしくは1時頃に激震あるに思われるによって、この時刻には皆屋外にあるべし」という陸軍省広報を見た江馬は不安にかられ、すぐに自宅に帰る。午後3時頃、元中将から「朝鮮人が混乱に乗じて放火している」という噂を聞く。日ごろから朝鮮人留学生と交流していた江馬も、疑心暗鬼に陥る。朝鮮人暴動という根拠のないデマが大規模に広がっていった。
震災発生3日目。浅草区長をしていた長兄に会いに出かけた江馬は、朝鮮人の青年らが自警団に取り囲まれているのを目撃。自身も朝鮮人に間違えられそうになるが、通りがかった姪に助けられた。初台では朝鮮人を擁護したため殺された日本人はいなかった。江馬はその理由を「初台は教養ある人、知識階級が多かったから」だと言う。
震災10日目頃にはバラック小屋が建ち始めた。江馬は浅草区長の長兄と一緒に下町の様子を見た。吉原の遊女たちの悲惨な死も描かれている。吉村昭は『関東大震災』で、朝鮮人暴動のデマが3日間で福島県辺りまで広がったと書いている。この江馬の小説では、デマや見てきたようなウソを庶民や在郷軍人が広めていたのがわかる。
赤ん坊を救助した李君、鄭君はどうなったのか。鄭君は仕事を求めて大阪に行った。李君は行方がわからない。
小池都知事は、今年も朝鮮人慰霊式典に追悼文を送らなかった。なんたる恥知らず、差別者か!(こじま みちお)
