
■核兵器禁止条約 第1条(禁止項目)締約国はいかなる状況においても、核兵器あるいはその他の核爆発装置の開発、実験、製造、生産、あるいは獲得、保有、貯蔵を実施しない。
被爆81年、「なぜ広島・長崎に」
高市首相の側近が、「日本は核兵器を持つべき」と発言した。「原爆を知る」広島、長崎の被爆者、被団協は怒った。核兵器禁止条約が2017年に国連で採択され、2021年1月に発効、採択から9年となる。条約の第1条は、「締約国はいかなる状況においても、『核兵器の…開発、実験、製造、生産、あるいは獲得、保有、貯蔵』を実施しない」と明記している。日本は唯一の「戦争被爆国」でありながら、署名も批准もしていない、締約国会議にオブザーバー参加もしない。(写真:折り鶴が置かれた、欠席の日本席)。
「軍都」だからか
戦前、広島には第5師団司令部、旧陸軍「被服支廠」(軍需品の工場、倉庫)など軍事施設が置かれ、宇品港近くには陸軍船舶部隊が配備され、「軍都」と呼ばれた。「被服支廠」は、崩れかかったレンガ壁や歪んだ鉄枠が修復され保存されている。
「広島は軍都だったから、原爆を落とされた」「広島は、中国・アジア派兵の拠点だったという反省がない」…と言う人もいる。しかし、軍事施設や軍港などは他の都市にもあった…。「戦争に加担し、反省がなかった」のは、日本中だった。なぜ「広島・長崎」だったのか。アメリカの意図は、何だっただろうか。アメリカは1945年7月、「核分裂の巨大なエネルギー」を兵器とし、人類の歴史上初めて「3発の核兵器・原爆」を完成させた。その1発をニューメキシコ州アラモゴード、トリニティ砂漠で爆発実験した(写真)。

数十万の都市、人間に投下
実験で原爆の威力はわかった。しかし、「数十万人の都市、人間に」投下すれば、どうなるか。アメリカは、その結果、データを最も知りたかっただろう。広島の人口は当時、約35万人。日本の植民地支配により、朝鮮半島から移住させられた数万人の朝鮮人も住んでいた。七つの川が流れる平野の広島、半島に囲まれた長崎という地形…。
米軍はマリアナ、サイパンなどの基地に、原爆投下のため「B29特別爆撃隊」を編成、周到な準備を行なった。危険な重い原爆を積み、日本本土までの長距離を飛行し目標上空で投下、巨大な爆発と爆風から急速反転し離脱する訓練を繰り返した…。
1945年8月初め、すでに日本の敗戦は時間の問題だった。アメリカは、7月16日に原爆の爆発実験を成功させ、「わずか3週間後」に広島・長崎に投下した。「35万人の人間へ投下したら」どうなるのか。その結果を知りデータを得るとともに、原爆の威力を世界に(とくに当時のソ連に)見せつけ、「戦後世界支配の主導権をアメリカが握る」ことにも、その目的はあっただろう。
米、ロ、中、仏、英、印、パキスタン、イスラエル、北朝鮮など、世界は約12000発の核弾頭を保有し、およそ9700発がいつでも使用可能な状態にある(数字:ストックホルム国際平和研究所)。「核兵器の世界」は、いまも続く。(竹田雅博)
