アメリカによる「ベトナム戦争」における軍民の死者数は、いまだ確定していない。推定2百万人以上、米軍の死者は公表57939人である。ベトナムで使用された弾薬、空爆を含む爆弾の総量は、第2次大戦のそれを大きく上回る。有史以来の最悪の破壊行為だ。
要するに、殺すだけ殺し、壊すだけ壊して米軍は引上げた。ヒロシマ、ナガサキの原爆の投下と同様に、アメリカはベトナム戦争についても、一度として国家的謝罪をしたことがない。正義のひとかけらもない。いま、地球上の諸国家のうち、もっとも傲岸なのが米国、アメリカだろう。

「おめでたい前文」と高市首相
わが高市首相は「憲法前文」にふれ、「このおめでたい一文を、もし改憲の機会があれば真っ先に変えようと思っている」と発言した。
戦後日本の9条に守られた平和主義なるものは、実は沖縄に米軍基地を押しつけ、極東の冷戦体制維持の役割を持たせ、アジア諸国の民族解放闘争の圧殺に加担することによって成立していた。戦後、朝鮮戦争の特需、1966年から71年はベトナム特需だった…。
もう一度言う。1954年から始まる「日本の高度の成長」は、それなしにはなかった。高市早苗という人物は、実はこのとき、この中で育てられたのではなかったか。
憲法9条は今、あらゆる政党から蔑まれ、疎まれ、ひっぱたかれ、泥足で蹴られ踏みにじられ、嘲笑されている条文だろう。「国の最高の法規範」でありながら、敵視され蔑視され、死の床で喘いでいる、瀕死寸前、じつに哀れな文言ではないか。

「武力の行使、永久に放棄」
しかし今は、ラジカルに、「夢よ、もう一度」というように、懐かしくも感じる。もう一度読んでみよう。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」
「戦争の放棄」「戦力不保持」「交戦権の否認」という三つを、規範的な要素とする基本法とは一体、そもそも何だったのか、わからなくもなってくる。この国の戦後は、単に誓った振りをしてきただけなのかも知れない。「同盟国への攻撃を自国に攻撃」と見なし、報復するぞと息巻き、某国に攻撃を躊躇させることで抑止していくという「安全保障上の考え方」が、今や支持を拡大しているようだ。「戦争放棄」「戦力不保持」「交戦権の否認」の三つを規範的な要素とする平和憲法など、まるで邪魔者扱いだ。

「国家の意思」が上位に
「独立した主権国家の国民としてのプライドにかけ、日本の心と言葉を持った憲法へと書き直すべきだと思っている」「前文には、目指すべき国家像を書き込む。国家はどうあるべきか、国民はどうあるべきかを、冒頭に示す」(高市早苗・首相)。
自衛隊のイラク派兵を閣議決定した2003年、小泉首相が記者会見し、「国家としての意思」を騙(かた)った。首相が、自衛隊の派兵に国家意思を重ねてみせたのである。2004年イラクへの自衛隊派兵は、国際法上紛れもなく参戦に等しい。この国の戦後史を画する、この暴挙を説明するのに国家意思を持ちだした。
小泉首相は「国民」に向かい、「私は、危険を伴う困難な任務に決意を固めて赴こうとしている自衛隊員に、願わくば、多くの国民が敬意と感謝の念をもって送り出していただきたい」と述べた。派兵される自衛隊員に「敬意と感謝を持て」と、私たちに強要した。さらに、派兵の根拠そのものを憲法の前文に求め、「日本国の理念、国家としての意思、日本国民の精神が「試されているのだ」と、私たちに迫ったのだ。

強要される「国民精神」
だれにより、いかなる理由で試されているのか、今一度問わなければならない。かつても、このように理念、精神、意思を振りかざされ、戦場に送り出されていったことを忘れてはいけない。国の理念、国家意思、日本国民の精神なるものを拒む者は、国家に対峙する「非国民」として炙りだされるのだ。「拒む者」と「拒まない者」との選別を、世に問うているとしか思えない。かようなことを、憲法前文を持ち出し言ってのけたのである。
小泉首相が読み上げたのは、第二段落の最後のセンテンスからである。作為的に省略された箇所には、①政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する、②そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民が享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する、③日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した…という国民主権と人権の尊重、平和主義という憲法の三大原則そのものを切り捨て、一部のみを牽強付会して「国の理念」「国家としての意思」「日本国民の精神」を捏造する。
これらに肯(がえ)んじない人々を威嚇し、自衛隊の海外派兵そのものを正当化した。途方もない、とんでもない牽強付会である。このこじつけと、言い訳がましいねじ曲げに「怒るべし」である。(嘉直)(つづく)