
若い人たちが政治を取り戻すために。若い人たちに通ずる「新しい言葉」や感じ方、問題意識、「言葉」や「話題」から、社会構造や社会変革へつながる議論の仕方、回路が必要ではないかと漠然と考えていた。
どうも、違うかもしれない。大江健三郎は、『新しい文学のために』(1988年、岩波新書)で「全ての言葉が使い古され、くたびれている」「日常的に使われてきた、その過程で絡みついたほこり、汚れを洗い流す」「真新しい言葉に仕立て直すという努力が必要なのだ」と言う。
ロシア・フォルマリズムの「異化」の手法、すなわち「ふだん慣れ親しんでいる事物や当たり前だと思っているものの見方を刷新する(異化する)こと」「物事をいつもと違った角度から、違った仕方で見せること」「ありふれた日常的な言葉の汚れ、くたびれをいかに洗い流し仕立て直して、その言葉を人間が今発見したばかりでもあるかのように、新しくすること」を説き、それが文学だと述べている。
これを文学の話と聞き流すのは、あまりにもったいない。いま、政治に求められている最も大切なことの一つではないかと思う。とりわけ、アベ政治の12年間は言葉の意味を拡散し薄め、言行不一致どころか、フェイク(ニセモノ)の垂れ流しのオンパレード。言葉の言い換え(「敵基地攻撃能力」を「反撃能力」に、「武器輸出」を「防衛装備移転」に等々)により、言葉はときに180度意味を反転させられる。「多様性」が「何でもあり」に捻じ曲げられ、「くたびれ」など、とうの昔に置き去りにされた。言葉の真の意味や思想の輝きは、姿かたちもわからないようにされる。言葉の真の意味と輝きをとりもどすために、どんなエネルギーと知恵が必要なのか。頭がくらくらする。
