
集団安保法制との闘い
2015年、安倍政権による集団安保法制の強行を機に「市民と野党の共闘」への動きが始まった。与野党が「一強多弱」の状況のもと、16年参院選で自公に3分の2議席を占められると、「安倍改憲」に一挙に突き進みかねないという危機感が大きかった。
当時の民進党内には、連合との関係から共産党との「共闘や候補者調整」に慎重な勢力もあったが、背に腹は代えられない中で民進党も共産党の提唱に応じざるを得なかった。安保法制反対で盛り上がったSEALDsや安保法制に反対するママの会など、幅広い市民の動きも背中を押した。
16年参院選では、32の1人区すべてで候補者一本化が図られ、自民が圧倒的に強かった1人区の11選挙区を野党が制した。市民と野党の共闘の流れは強まったが、17年衆院選では直前に民進党の分裂・解体と小池新党(希望の党)に分断され、積み上げてきた野党共闘と候補者一本化は総崩れに。かろうじて立ち上がった立憲民主党に支持が集まり、選挙後は「新たな野党共闘の枠組み」も展望できた。
野党共闘の迷走
19年参院選後は、どうだったか。立憲と国民の「合流協議」に1年半近くが費やされ、市民連合が「共通政策案」を提案し5党2会派との協議を呼びかけたが、話し合いのテーブルさえできなかった。21年、菅政権による通常国会が始まりコロナ感染が拡がる中、4月末にようやく立憲と共産の党首会談で「政策と候補者調整を始める合意」が行われたものの、連合、国民、共産党との関係をめぐる確執に縛られ協議にも入れなかった。
22年、民主党政権が崩壊し第2次安倍政権が始まってから丸10年。安倍、菅、岸田と自公政権は3代にわたったが、この国の立憲主義と平和主義を根底から覆した「安倍政治」は、首相が交代しても今もその体質を引きずったままである。
その10年目の重要な選挙になった昨年夏の参院選投票日直前に、安倍元首相が凶弾に倒れた。自民党最大派閥である安倍派の源流である岸信介以来続いてきた「反共、カルト集団」旧統一教会と自民党との癒着関係が明らかになる。岸田政権は、政治的思惑からいち早く「安倍国葬」に踏み切ったが、選挙で大勝し得たはずの「黄金の3年間」が消え去ったのは、皮肉としか言いようがない。
惨敗した22年参院選
いま自公政権は、立憲政治の空洞化をはかる一方、10年続いた〝アベノミクス〟という経済破綻への対処ができないまま、超円安に象徴される日本経済の地盤沈下、格差・貧困になす術もない。国際的な政治、経済への対応からも取り残されている。新型コロナ感染症対策も無策のまま、社会経済活動の〝回復〟一辺倒に走り、世論の批判は高まっている。
こうした政権の体たらくに対し、市民と野党はこの8年間「市民と野党の共闘」を掲げて「一強多弱」と言われた与野党関係に風穴を開けようとしてきた。しかし、一昨年の衆院選の後「野党共闘」が瓦解し、昨年の参院選は政権側が仕掛けた「分断」戦略に屈する形で野党は惨敗した。(つづく)
