過酷な家庭環境による重い精神病を抱え、その短き人生を綴った女性の自叙伝である。享年26歳。
 彼女を支え続けた夫からの伝言。「2024年5月8日、妻・塔子はこの世を去りました。自分の本を出したいという彼女の夢を叶えるべく、出版社へ出版の継続の依頼をしました。…… 関連するつらい記憶のある人へ … 生きてください」

長期反復的なトラウマ体験
 「飢えている。渇いている。私の心はいつもこの渇望が満たされることはないという絶望でいっぱいである …… だったらいっそ早く死なせてくれと切に願う」「この私の状態を湯船に例えることがある。子供時代に大人から無償の愛情をたっぷり与えられる事で、ひび割れることなく綺麗に湯船は完成するが、私は愛情よりも恐怖と不安ばかり与えられて、ボロボロの湯船しかできあがらなかった」
 著者は精神分析医のマイケル・バリントが提唱した「基底欠損」という概念に「私のことだ」と感じる。「基底欠損」とは、幼少期の愛情や養育環境の不足により、人間関係の土台となる基本的信頼感が形成されていない状態を指す。
 実家で過ごした地獄の日々、それによって負った精神疾患に悩まされて、オーバードーズ(薬の大量服用)、アームカット、浴びるほど酒を飲んで自傷を重ね、希死念慮を紛らわす。

発病をもたらした過酷な家庭環境
 父の虐待
 貧しい家庭ではない。高給取りのサラリーマンである父は家に十分な金を渡さず、病弱な母に「パートに行け」と命ずる。そしてパート収入の少なさを罵倒する。
 「子供は明治時代風に育てる」と宣言し、家父長制を導入して絶対的支配権を押し通す。テレビを見ることも禁じる。ささいなことに激昂し、自分の気が収まるまで何時間でも怒鳴り続ける。著者には2歳年上の兄がいるが、父は兄の首根っこをつかまえ、大声で怒鳴りつけて勉強を教える。その怒鳴り声は襖一枚の隣室まで響き、まだ幼い著者は恐怖に震えながら、悲壮な思いで勉強する。幼稚園はキリスト教系で、「怒鳴り声が聞こえなくなりますように」と毎日、神に祈った。以降、7年間祈り続け、小学校4年生時に皮肉にも願いがかなう。突発性難聴を患い、右耳だけは治らず難聴の障害が残った。精神的に追い詰められた発病だったのだろう。
 中学3年の時には、父に激しく怒鳴られ、著者がテタニー発作を起こして倒れ込むまで怒号が続いた。テタニー発作とは過呼吸による電解質異常で手足がけいれん、収縮、硬直する発作である。以降、著者はこれが習慣化して学校でも発症し、登校したとしても保健室で過ごすことになる。
 母の虐待
 このような父親でも、母親にキャパシティがあれば、子どもたちがここまで追い込まれることはなかっただろう。ところが彼女の母は、夫の支配と抑圧へのやるせない憤怒を子どもにぶつけることで自分の精神を保とうとした。物心ついた頃から、母は父への愚痴や悪口を著者にぶつけた。子どもを育てる精神的な力が不足していた母は、ささいなことで子どもを掃除機で殴ったり、その食事を抜いたりした。
 著者が小学3年のときに、母はがんを発症(後に再発)する。患者本人もつらいだろうが、余裕のない母は、「塔子がストレスをかけるから死ぬかもしれない病気になった」とヒステリックに著者を責めた。さらに「子どもが居なければ離婚できたのに」「あんたたちを産まなきゃよかった」と繰り返した。
 小学5年のときには、料理も洗濯も掃除も全て「女手」たる著者が担うようになる(あえてサラリと表現したが、サラリと読んだ男はクズだ)。兄は家に帰ってこなくなった。
 父は毎日浴びる如く酒を飲んだ。母はかげで「酒で早く死ねばいい」と。著者も「肝臓を悪くして早死にすれば、家は幸せになる」と。絶望的な家庭環境の中で、著者は両親二人共の死を願うようになる。「死ね、死ね、死ね」と毎日何時間も。中学になると「家族を殺すか、自分が死ぬか」と、特に父に対する殺意は強烈な強迫観念になっていった。
 兄妹は二人とも精神科にかかるようになる。あるとき、父の自室で抗うつ剤や睡眠剤が入った薬袋を見つける。家族全員が壊れていたのだ。

自傷とオーバードーズ
 薬の大量服用。大量飲酒。アルコールは心の傷みから離脱する最強の鎮静剤である。意識は幽体離脱していく。次にアームカット。袖を肩までまくり上げ、カミソリを当て力一杯引く。「オーバードーズは胸をプレス機でつぶされるかのようなひどい感情を意識ごと飛ばすのに役立ち、アームカットは痛みや流れる血の赤さと温かさによって、一時でも苦しい意識を体の感覚へとそらしてくれる」。ほとんどの人々が分かっていないが、自傷は苦しみから逃れるため、「生きる」ためにあるのだ。
 医療従事者は、こうやって運ばれてくる患者の苦しみから意図的に目を背け、理解することを拒む。その結果、患者が再び自傷しないように「拘束」することが「治療」になる。患者の手足や胴を拘束具でベッドに縛り付け、身動きできないようにする。拘束によるエコノミー症候群で何人も死んでいる。便も尿もオムツの中にする。人間の尊厳を引き裂く「治療」だ。「助けて欲しい」という彼女の叫びは、「反抗」とみなされ、拘束具をさらにきつく締められる。
 入院先の病院でアームカットしたとき、彼女は「この苦しさをわかって欲しい」と、哀しいまでの愛情を求めていた。「あなたにはわからない」と泣きながら看護師に訴えると、「うん、わからないよ」と突き放され、わずかな期待が裏切られたことに、虚しさが押し寄せた。これが精神科治療なのか!
 おそらく「懲罰」というものが存在するのは精神科だけだろう。著者は以下のように願う。「24時間、数カ月間も縛られている摂食障害の患者さんにはそうではなく、栄養を管から入れるときと、その後の1時間だけにしてあげて。抑制帯を付けるのは全身ではなく、胴バンドで十分な患者はいっぱいいるよ。それなら手を動かせるからずっと自由になる」。どうしてこんな簡単なことが日本の精神医療では無視されるのか。人権感覚の無さ!

困難な闘病かかえ
 絶望的な家庭から脱却し自立を求め、著者は得意な勉強にかける。成績は優秀で学校でも評価されていたが、父親は受験勉強のための金は一切出してくれなかった。15歳のときに「パパ活」という言葉をネットで見つけ、「売春の世界」に引きずられていった。繰り返すうちにアームカットがひどくなった。一方で、「このどん底から抜け出してやる」という悲壮な思いから、ひたすら勉強に打ち込んだ。
 その執念で彼女は東京大学にストレートで合格した。教養部の時に精神看護学を学びたい、看護師になりたいと看護部を選んだ。しかし、看護師として働き始めると、子どもの頃のトラウマが出て、上司の叱責も多くなっていった。複数の作業を同時進行できない、抜け漏れが多い、ということだった。
 PTSDと言われてきた著者は、ここで初めて自分の病気の特性を知ろうと、病院で知能検査や発達検査を受ける。言語理解や知覚推理は高いのに、作業記憶や処理速度という指標は低く、顕著なバラツキがあった。医師は「生育歴の影響でこのような特性が出た」と診断した。虐待などの子ども時代のトラウマ体験によって、発達障害ではないが、それに似た障害がでることがあるらしい。「発達性トラウマ障害」という概念を提唱する専門家もいる。

最後に
 どこまでが正常で、どこからが精神病なのか。発達障害と精神障害の境目はどこなのか。まだまだ精神医学の世界は発達途上であると思わざるを得ない。私(筆者)も精神障がい者のひとりだが、子どもの頃の家庭環境が斎藤塔子さんと似ており、読みながら考え込んでしまった。私もボロボロの「湯船」しか築けなかったのだろうか。
 最後に国立精神・神経医療センターの松本俊彦医師の言葉を紹介したい。
 「残念ながら私たちは死を介してしか学べない事柄がある。彼女は本書においてこう叫び続けている。行動の逸脱を拘束して管理するのではなく、背景にある物語りに耳を傾けよ、と。そんな当たり前の精神医療を願って、著者は、『他人事としてではなく、自分自身の体験を真摯に真摯に言葉にし』たのだ」
(当間弓子)