「バンザイ・クリフ」で知られるサイパン島(沖縄からの移住者が多かった)が陥落したのが、1944年7月7日。アメリカ軍は6月15日から攻撃を始め23日目だった。アメリカ陸軍航空隊のB29爆撃機が日本本土への爆撃を開始したのは1944年11月の末。サイパン~東京間往復4400キロの行程をいかに安全に飛行するか。その中継基地として硫黄島がアメリカの補給基地とされた。
クリント・イーストウッド監督の映画『硫黄島からの手紙』がある。渡辺謙扮する栗林忠道中将はアメリカ通として描かれているが、彼は実際にアメリカをよく知っていたようだ。余談、最近解散した「嵐」の二宮君の演技も上手かった。
硫黄島を守る日本軍は、陸軍13960人、海軍6000人。トーチカとトンネルで持久戦に持ち込む作戦だった。アメリカ側は、海兵団約7万人、陸軍派遣部隊約4万人、すさまじい物量と兵器だった。

戦死、米軍6800人、日本軍2万人
1945年2月17日、アメリカ軍の艦艇100隻以上が硫黄島に集結し、2月20日まで徹底した艦砲射撃を行なった。海兵団の上陸後も、日本軍は猛烈に抵抗した。アメリカ軍も多大な犠牲者を出しながら、日本軍を追い詰めていく。2月23日、摺鉢山に星条旗が掲げられた後も、戦闘は続いた。ついに、3月26日、陸海軍の300名による決死攻撃が行われ、硫黄島は陥落する。日本軍は陸海あわせ19900人が戦死、戦傷者は1032人。アメリカ軍は戦死6821人、戦傷者は21855人だった。制空、制海権確保の上に、艦砲射撃、近接航空支援、水陸両用部隊の統合作戦の勝利となった。

B29と竹ヤリ
サイパンと硫黄島が陥落した時点で降伏すればいいものを、石頭の日本軍部は、「国体護持、神州不滅」を叫び本土決戦に持ち込もうとする。「木銃でどうやってB29を落とすのですか?」と聞かれた東条英機は、「精神力だ!」と言ったという。竹やりで勝てるわけはないや。
アサ―ビナードさんの話を伺い、なるほどと思ったことがある。アメリカは、なぜ沖縄戦をしかけたのか。それは、原爆開発のための時間稼ぎだったという。日本側も、長野県の松代に皇居を建設するための時間稼ぎであったとか。

沖縄戦の犠牲
いよいよアメリカの沖縄上陸作戦が日程に上る。第2次大戦の「水陸両用作戦」の総仕上げというべき戦いだった。1944年10月10日、沖縄は猛爆される。45年1月から3月にかけても爆撃が続き、情報収集のための航空写真も撮っている。沖縄本島への上陸6日前には慶良間諸島に上陸、攻撃用拠点を確保し、沖縄本島に艦砲射撃を加えた。
そして、1945年4月1日。日曜日の復活祭の日だったそうだ。1300隻に及ぶ海軍艦艇が集結、猛烈な艦砲射撃を開始した。航空支援隊も加わり、海兵隊員の上陸作戦を援護した。上陸作戦開始から1時間後には16000人以上の戦闘部隊を上陸させたという。

チビチリガマ
読谷村在住の富樫守さんに、上陸地点を案内してもらったことがある。あの集団自決のあった「チビチリガマ」から、そんなに遠くない。嘉数高台からは、アメリカ兵が続々と上陸していく様子が見えたはずだ。日本軍の守備兵は、どんな気持ちだったろうか。
第2次世界大戦後もアメリカは、「世界の警察官」として世界各地で戦争をしてきた。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争などなど。各々の戦争に、海兵隊が戦場に送り込まれた。参考にしている『アメリカ海兵隊』という本の出版が1995年、資料的に古いが、海兵隊3個師団18万3千人となっている。

今も在日する米軍
2019年、在日米軍は55000人、そのうち海兵隊員は約2万人。沖縄に駐留する海兵隊員は第31海兵遠征隊の2200人となっている。ちょっと少ないかと思うが、手持ちの資料がないので分からない。
さて、みなさんはNetflixで韓ドラなどを楽しまれているのでは…。ドキュメンタリーの一つに『USマリーンズ』という番組があり、沖縄のキャンプハンセンに駐留する第31海兵遠征隊の訓練模様を4回に分けて配信している。このドキュメンタリーが印象的だったのは、海兵隊員を一人ひとり「ライフルマン」に育てるのも大事なこと、伝統的に偵察狙撃隊の一員であることは名誉なことなのだ。でも現在の戦闘形態からは、狙撃手というのは必要性が薄くなって狙撃隊は解散になるという。また、海兵隊はヘリコプターを攻撃、輸送用に使用することが多い。そのためオスプレイやコブラなどが重用される。
当然のことながら、『USマリーンズ』に出てくる海兵隊員の口から、日本に対する感謝の気持ちなど出てこない。沖縄の人々に迷惑をかけているという意識も全くなかった。(こじま・みちお)(おわり)