猛暑の中、20回を数える「8・6ヒロシマ平和の夕べ」集会が開催され、参加した。被爆証言「14歳のときに被爆した」(梶本淑子さん)、講演「核へのレジスタンス」(高橋博子さん)「避難の権利、誰の子どもも被ばくさせない」(森松明希子さん)の講演、発言だった。
14歳だった梶本淑子さんは、その日「学徒動員」で爆心から2・3キロ、飛行機のプロペラ製造工場で被爆した。建物の下敷きになり、足と腕に大けがを負う。放心状態で泣くばかりの仲間を励ましながら、やっとの思いで這い出した。

感情も奪い去った原爆
自分の傷の止血や、骨が見えるほどの骨折した人を応急手当したという気丈さ。講演でも、今年96歳になるという高齢を思わせない、その声量や発語の明晰さからも、そのときの様子が伺えた。身体から千切れてしまった片腕を残った手で持つ少年、水を求め、飲んだ直後にこときれる人たち…。急ごしらえの担架に友だちを乗せ、申し訳ないと思いつつ倒れた人の血肉でぬるんだ上を歩く、耐え難かったその感触。次第に人の心が失われ、友を運ぶという使命感のみで動く自分自身がいた。原爆は、戦禍は少女から感情も奪い去った。心を閉ざすに十分であったろう。

孫娘の思いに応え
「原爆を証言してほしい」という孫娘の熱い思いが、彼女を動かした。それまで、被爆体験を語ることはできなかったという。「無知と無関心は、戦争にせよ、いじめにせよ、共犯者だ」という言葉が、非難ではなく、哀しみの声に聞こえた。これからもまた、彼女は「共犯者をなくす」ため、気力をふり絞って被爆を証言し続けるのだろう。
フクシマは証言する
「フクシマから」は、避難者として反原発の活動を続け、「フクシマ被害者訴訟」に尽力する森松明希子さん。「政府の定めた原発事故区域内」に住む者は避難を指示され、「区域外」から自主避難をした者は、「復興を妨げる風評加害者だ」と非国民呼ばわりされる。そんな理不尽なことはないと憤る。
政府は、原発事故発生以前は放射線量の許容上限値を「年間1ミリシーベルト」としていたのに、事故後は「20シーベルトまで許容できる」というデタラメさ。誰もが、可能であれば「少しでも放射線量の少ない地域へ移りたい」と願うのは当然だ。「健康な生活を営む権利」の保障は、日本国憲法にも定められている(11条、13条、22条、25条ほか)。
原発の推進は国策だった。その国策の犠牲となるのは、市民だ。「私たちは、被ばくから身を避ける自由を、健康に生きる権利として訴えていく」と森松さんは、力強く語った。

「核へのレジスタンス」
平和講演は、広島、長崎、太平洋核実験など「グローバル・ヒバクシャ」研究を続ける高橋博子さん(奈良大学教授)による「核へのレジスタンス」…。アメリカの公文書は、国民の知る権利であり原則公開されるが、機密文書は政府の指定により一定期間非公開となる。後日、機密解除されてもなお、写真が抜き取られていたりするが、開示請求によって見ることができるらしい。
アメリカの原子力政策の文書は、「公開されても部分的に秘匿されたものが多く、逆に考えれば秘匿の意図をうかがい知ることができる」という。原爆投下直後の8月10日付け、当時の日本帝国政府から米国政府へ抗議文が届く。「原爆の毒性および不必要な苦痛を与える兵器使用は、日米両国が批准していたハーグ陸戦法規に違反する」というものだ。

汚染を否定する核開発と使用
これに対し、原爆開発推進のためのマンハッタン計画、その管轄下の医学部門責任者が「核分裂物質は空中高く飛散し、残留物質は残らない」と反論した。しかし原爆開発以前、すでに「被害区域はかなりの期間、放射能汚染のため人が住むことはできない」と米政府へ報告されていた。米政府は、国際法に違反する兵器を意図して使用したのである。
原爆による健康被害を調べる原爆障害調査委員会(ABCC)は、太平洋核実験後の健康調査を行ない、「汚染した環境で生活する際に、人間が取り込む量を測定することは非常に興味深い」「これらの人々が、ネズミよりも私たちに似ていることも事実である」など、聞くに堪えない報告書を残している。「健康被害が被害者側の立場で調査されるのではなく、核開発が目的であったマンハッタン計画の下部組織により行われており、それが大きな問題点である」ことが語られた。

「核で脅す」「脅されない」未来へ
フランスで開催されたレジスタンス活動家の交流会、「核によって脅すことも脅されることも、被害者になることも加害者になることも、核被災を隠ぺいすることも、されることにも、レジスタンスすることを呼びかける」と6千人の前でスピーチしたところ、盛大な拍手と歓声で盛り上がったと報告された。
急速に右傾化する世情に、戸惑う昨今でもある。振り返って私たちは、「反戦・反核運動の輪を、広げることができた」と言えるであろうか。「敵の土俵に乗らず」などと「同じ輪の仲間」とだけ対話するうち、仲間内でさえも自由な反論を封じるような気質がなかったか。
改憲の動きが迫る現在、敵味方なく公開に耐えうる議論や、「無知無関心層」にも届く、広がりのある呼びかけができるような力が必要だと思う。(安芸)
*写真「慰霊碑前の生徒」は、321人が全滅した旧制廣島2中、現・県立観音高校生たち。(8月6日、午前8時)