冠木弁護士の講演から
冠木克彦・弁護士の講演・学習会があった(11月1日、神戸市内)。冠木さんは、「9条は、もちろん重要だ。その上で自民党改憲案のねらいが、13条にもあることに注目したい」と、次のように話した(以下、レジュメ、メモによる)。
高市内閣になり、国旗損壊罪の新設やスパイ防止法など、戦争を念頭においた政治が進められている。「男系男子の皇位継承する」皇室典範の改正、立法準備など、いっきに「戦前に走る保守回帰」路線が進められている。戦前の天皇制イデオロギーが息を吹き返し、新しい装いをもって右傾化しつつ、社会の精神的支柱を与えかねない状況を注視したい。
天皇制イデオロギー、その範囲は多岐に及ぶが、戦前の問題の多くが「個人の無視」「個の破壊」ともいうべき「滅私奉公」によって行なわれた。高市総理の「働いて、働いて…」の絶叫も、これらに連なる。わが国に欠けている「個」の問題を自覚し、今後に役立てたい。

13条「国民は、個人として尊重される」
以前に、知人がアメリカ人の学生と話したとき、彼は「日本の憲法で最も重要な規定は、13条だ」と言ったという。(注)13条:個人の尊重と公共の福祉/「すべて国民は(公共の福祉に反しない限り…)、個人として尊重される」…」 「人として尊重される」のだ。
なるほど、戦前、天皇制イデオロギーでは、徹底して「個」をないがしろにした。現憲法になってからも、教育現場での「日の丸・君が代」不起立処分、外国人の人権にも国際基準に反したままである。これらにみられるように、「個」の人権保障は、なお不十分である。13条、自民改憲案は形を変えた「個」への攻撃でもある。

「国体の本義」「教育勅語」とは
戦争中の「特攻隊」「玉砕」「集団自決」など、なぜ「こんなことが許され、賞賛された」のだろうか。「天皇制絶対主義」「国体の本義」「教育勅語」などというイデオロギー、道徳規範など。言い換えれば「無責任社会」「上が責任をとらずに、尻尾切りですませる社会」…。敗戦という結果と、アジア人民への莫大な被害、加害(日本:310万人、アジア2000万人以上)を、総括したのか。弁償、賠償をしたのか。していない。
現憲法は「第1章:天皇」から始まり、1条から8条に及ぶ。1条「天皇は、日本国の象徴であり、国民統合の象徴であり、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」
(筆者注:あらためて憲法を開いてみる。「総意」と言うが、どのように総意なのだ?!)
天皇制イデオロギーの根幹は、「国体の本義」「教育勅語」にあり、戦前の治安維持法により、徹底した弾圧を行なった(「国体の本義、国体を変革すること」を目的とし、結社を組織したる者は死刑、または無期懲役)。ちなみに、「国体の本義」とは何かは、書かれていない。

新憲法下では、どうだろうか
戦前の統治、「天皇制絶対主義、万世一系、神聖にして侵すべからず」…、当時「天皇と臣民」は、「天空と地上」というくらい、隔絶していた。一方的な支配と服従、「個」は徹底して排除される。「神話のようなもの」を出発点としながら、なぜそれで「天皇万歳」の気運、親近感がつくられたのか。支配の構造とは別に道徳的関係性をつくり上げたのは、「国体」「教育勅語」「軍人勅諭」であった。

新たに装う「天皇制イデオロギー」
酷い目にあったにもかかわらず、なお「天皇制が続く」のは、なぜだろうか。「東條が悪かった、悪いのは政治家だ」なら、もはや「天皇教」である。天皇が何をしたのかは、まったくと言っていいほど、わからない仕組みだ。あの敗戦に至っても「悪いのは官僚や軍人だ」という意識である。
それは、「戦後の象徴天皇制」にも引き継がれる。「政治的機能、権能がなくなった」天皇制が、より「身近」に、災害地への慰問など「個」を大切にする姿などを見せる。「右派はもちろん、メディアなどによる天皇利用の危険」「新たな装いの天皇制イデオロギー」を、警戒しなければならない。「加害の責任」を知ること、その補償活動の必要性などは、その支えになるであろう。(文責:博)